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170827(Sun) 18:52:23

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2日目 12月23日

 冬休みにはいったからといってやることがあるわけではない。趣味のある人間ではないし、それを苦にしたこともなかった。転校するまでは退屈とか、そういうことを意識することはなかった。何事にも煩わされたくなかったし、日頃のことを思ったりすることをいまよりずっと幼い頃から苦手にしていて、そのうちに何も考えずに日々を消化できるようになった。休みの日にすることといえば、日課と雑用をこなせばあとは長い一日を眠ってすごすくらいだった。
 由海ちゃんの家に上がるようになってから間食の癖がついた。一日一回、お菓子をいくらかたべるようになったからといってそれ自体のカロリーは大きな問題にならない。運動と基礎代謝をあげることで摂取量を上回ることができるからだ。問題なのは、空腹でいる時間が短くなることだった。何かたべていないと落ち着かず、空腹を自覚すると苛々するようになり、毎食ごとにお腹いっぱいになるまでたべようとしてしまうことだった。通いはじめて二週間がすぎたころ、お風呂のまえに洗面所の鏡をのぞきこむと腹回りにいままで見たことのない量の脂肪がついていた。夜になるたび街中を走り、それを終えて帰ってからはスクワットや腹筋、背筋を行う日課ができた。
 新しい習慣や日課、由海ちゃんといるといままでの自分がどこかに追いやられていくような気がする。生きかたや身の振りかた、そういったものを考えこまされる。日々の煩わしさから解放されたと思っていたのに、彼女のまえにいるとたやすくできていたことのやりかたを忘れてしまう。会話をすることがただの雑談ではすませられず、体の置きかた、腕の位置をうまく決められなくなる。考えずにいることができなくなり、身の隅々まで意識をわたらせないと息苦しさに我を忘れそうになる。そうしているうちに、ひとりでいるときでさえいままでのようにできなくなり、退屈をうまくやりすごす術を忘れてしまう。
 日の登りきらないうちから運動用の服に着替え、街中を走っている。やることを先取りしているだけで、夜になったらまた新しい暇つぶしを考えないといけなくなるとわかっているのに、じっとしていることができなかった。始めた最初の頃は一キロのうちにすら息があがっていたのに無意識に体を動かすことをやめ、彼女のまえにいるときのように意識をわたらせ、効率よく運動する術を学び、そのうちに筋肉がつき、苦ではなくなった。柔らかかった太腿とかが張り始め、それにあわせて気力のようなものもみなぎりはじめ、以前のような無感動でいることができなくなった。
 町内を一周し終え、家に帰ろうとしたときだった。疲れきっているわけではないけど体が少しだるくて、それなのに気分は悪くない。こういう気分になるとなぜか由海ちゃんが近くにいるような気がする。運動なんて嫌いだったし、走ることは最も嫌いなことだった。手ずからお菓子を与えられて、太ってしまう、だから運動する。わたしの行動は彼女に誘発されたもので、操られているようで、目のまえにいなくても存在の余韻があるような気がしてくる。
「ちーーーせーーーーー」
 幻聴かと思った。走っていると脳がぼうっとしてくる、そんなところに都合のいい妄想をしているから由海ちゃんの声がしてくるのだと思っていた。
「千世! こっちーーーーっ!」
 振り返ると、本当に由海ちゃんがいる。ビニール袋を持った手を振っている。急に足を止めてしまい姿勢を崩す、息が乱れた。呆然と立ち尽くしていると彼女のほうから駆けてくる。きのう、冬休みのあいだどうするとかの話はしなかった。巴さんを抱いていてそんな話がしづらかったのもあったけど、それ以上に毎日いっしょに過ごしていたからいざ休みになっても同じままだと錯覚していた。家に帰ってから、あしたから由海ちゃんとどうやって会えばいいのか、そんなのメールなり電話なりをすればいいだけだとわかっていたけれど、気恥ずかしくてできなくて後回しにしていた。
「こんな時間からジョギング?」
 ひと月半まえのわたしと同じように走り慣れていないのだろう、十数メートルの距離だったのに息が上がっている。
「うん……」
 返事をしてから気づいたけど、日々運動をしていることは由海ちゃんには内緒にしている。初めて家に招かれたとき、太らせたいといわれた。それなのにわたしがちゃんと太っていなかったら家に上がる回数が減じてしまうのではと不安に思う。
「ちょっと走ろうかなとおもって」
 乱れた呼吸を整えようと荒い息をすると白い呼気がもうもうとなり、汗も止まらずに流れる。恥ずかしくて身を隠したくなるけれど、道の真中で遮るものは何もない。
「よかったらうちにこない。お昼ごはんそろそろつくろうと思ってたから一緒にどう」
 待っていた言葉をいわれ、一も二もなく物理的にも飛びつきそうになるけど、汗をかいたままだったのでやめる。

「制服じゃない千世がうちにいるとなんか変な感じだね」
 思い返せば平日の学校帰りにしか由海ちゃんの家にきたことはなかった。自分でもなんだか変な感じがする。でも、違和感の原因は制服じゃないからというよりももっと別の格好からだった。真冬だというのに止めどなく汗が流すわたしをみてシャワーを貸してくれるといってくれた。ちょうどいいとばかりに借りたのだけど、その後のことを考えていなかった。お風呂場を出て洗面所では洗濯機が回っている。その上にはバスタオルと一緒にたたまれた服があった。当然わたしのものではなくて、由海ちゃんのものだ。わたしのものは洗濯機のなかだろう。戸惑いから、血圧が上がっているのもあるけれど目のまえが暗くなるようだった。まず何をすればいいのか、いったん落ち着こうと体をふいたけれど動悸は収まらない。何をするでもなく、置かれている服を身に付ければいいはずだ。手を伸ばして摘みあげることまではできた、そしてそのまま目線の高さまで掲げて、そのまま顔をうずめた。いつもしているように、由海ちゃんを抱いているときと同じにおいがした。服からだけでなく、濡れたままのわたしの髪からもだ。そしてなぜか我を忘れた。
「変なにおいした? きのう洗ったはずなんだけど」
 顔を上げると、洗面所の入り口に由海ちゃんが立っていてた。
「えっ、うん。しないよ……」
 血の気が引く音ってほんとうにするのかとどこか冷静に思いながら、上ずった声で返す。
「そっか、よかった」
 言い訳をする間もなく引きかえしてゆく。ひとり取り残され、戻ったあとどう説明したらいいのかと思うけど、言い繕うとかではなく、自分でもなんでそんなことをしたのかわからなくて言葉がみつからなかった。