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170827(Sun) 18:50:38

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1日目 12月22日
「ここが、食堂です」
 終業式を終えた校舎は静かで私と浅野のたてる音しかしない。彼女を呼びだしたのは私だけどどうしてこんなことになっているのかはわからない。帰宅部のふたりはいつも連れだって帰るけれど、きょうは、由海には先に帰ってもらっていた。私が、浅野に用事があると呼びだしたのだ。そのときの予定では生徒会室の合鍵をつかってそのなかで話そうと思っていたのに、なぜだか彼女のぶんまで鞄を持たされて校舎内の散歩をする羽目になっている。そのうえ、浅野はというと普通教室棟をでてから、教室の前を通りがかるたびに、ここが音楽室、美術室、などと教室の名前を教えようとしてくる。もう二年生なのだから知らないはずがないと彼女だってわかっているだろうになぜかそうする。
「きょうは終業式なのであいていません」
「知ってるよ。どうしてこんなことを」
「つぎは体育館のほうへいきましょう」
 何度聞いてもこうだ。訳を聞いても教えようとせず、聞こえないふりをしてつぎの場所へ行こうとする。急ぐ用ではないのでかまわないといえばそうなのなのだけど、無意味に歩きまわらせられる意図がわからない。立場でも逆転したいのだろうか。由海の幼馴染みは浅野で、私は転校生なのだという風に。
「浅野は、自分が由海の幼馴染みだったらよかったって思うの」体育館への渡り廊下の半ばで声にだして聞いてみた。足を止め、私のほうを振りかえる。「私は、由海の幼馴染みでよかったなって思う」
「どうでしょう。幼馴染みっていたことがないからわかりません」
「じゃあ、どうして?」
「どうもこうもありませんが、巴さんはいつもぼんやりしているので教室の場所とか忘れてないかなと思って案内してるだけです」
「そんなの、忘れるわけないでしょう」
 ぼんやりしてるのは浅野だよ、と続けたかったけれどそれ以上はなにもいわないというようにまたまえを向き、決然と歩きだす。
「ここが最後の場所です。体育館」
「だから、知ってるってば」
「校舎内の案内は以上です。きょうは、こちらから帰りましょう」
 そういうと、下駄箱から靴を二足だす。片方は見慣れたくたびれかたをしていて私のものとわかる。
「用意してたの?」
「朝、巴さんが放課後に話があるというので休み時間に」
「どうして?」
「あんまり、どうとか理由は考えてませんでした。ただ巴さんに校舎の案内をしたかったのと、きょうは自転車できたので玄関まで戻るのも面倒だったからかもしれません」
 わざとらしく考えこむように顎に指をあてながら答えられる。こんな仕込みをするほうが面倒だろうに、そんな素振りはみせようとしない。帰るタイミングが一緒にならなかったらどうするつもりだったのだろう。
「なんで自転車?」
「定期がおとといで切れたので」
 なるほど合理的な理由で冬休みまえに定期を買うのはもったいない。けれど無理があるだろう。私たちの住む街まで電車にのれば数十分でつくけれど自転車では四十分以上かかるはずだ。彼女は昼食を購買のパンで済ませているのでお金に困っているなんてこともない。ふつうに考えればきのうときょうの二日間往復の運賃を払えばいいだけのことだ。
「という訳できのうから自転車通学です」
「どういう訳かよくわからないけど、定期が切れて自転車できたのだけはわかったけど、どうしてここまで私を連れてきたの」
 駐輪場に移動し、彼女は学校支給のヘルメットをかぶる。友人の贔屓目とかではなく、浅野は美人だ。小さな顔と光をきらきら弾くやわらかな髪のうえに真っ黄色のそれをかぶるとなんだか間抜けというか、ひとを食ったような雰囲気になる。スタンドをおろしたまま荷台に座り、さあ、という顔をする。
「ふたり乗りしようって?」
「そうです。きのうは由海ちゃんとこうして帰りました。きょうは巴さんとこうします。……きのうは、わたしが漕ぎましたが、きょうは巴さんです」
「四十分ふたり乗りは疲れる?」
「いいえ。巴さんに漕いで欲しいです。由海ちゃんにはうしろに座っていて欲しかったです」
「私、電車で帰っていい?」
「何かお話があるんでしょう」
「それは、そうだけど……」
 話はある、早く解決したい問題で焦れてもいる、だからといってふたり乗りをして一緒に帰りたいとは思えないし、面倒な気持ちも強かった。あしたから冬休みで、きょうを逃せばわざわざどこかに呼びだすか、由海の家に、彼女がいるときに伺わないといけない。そうすれば必然的に由海も交えて、となり避けたい事態になる。そんなことを考えてわざわざ自転車で来たのではないだろうけど、彼女はときどき謎の勘のよさと賢しらさを発揮する。そうなれば出鼻をくじかれたうえに、すっかりペースに乗せられている。
 言葉ではなく視線で圧力をかけられる。ヘルメットをかぶった格好ではやっぱりおどけたようになってしまっているけど、それでもなぜか抗い難かった。
「わかった……けど、いったん降りて。長い道にでないと転んじゃう」
「ふたり乗りの経験があるんですね」
「むかしときどき由海をのせてた」
「……そうなんですか。わたしはきのうが初めてでした。そんなことをする友人がいなかったので」
 だから、とか、それで、とかそんな気持ちになる。同情でも誘っているのだろうか、違うだろう。彼女はもっと傲慢だ。こんなことをさせて、浅野がどうしたがっているのかわからない。

 学校をでて十分ほどすぎた。ひさしぶりのふたり乗りとすこしの混乱、というよりも緊張も重なり軽い恐慌状態に陥ってしまいろくに喋ることができなかった。会話が途切れてどことなく気まずいけれど、彼女は気にしていないのか、私のお腹に腕をまわし体重をあずけてくる。
「そこ、右です」
 自転車で学校にきたことはなかったので道案内をしてもらっている。曲がり角を伝える淡々とした口調にさっき校舎内を歩きまわったときのことを思いだす。浅野は、よくわからないひとだった。なんだかとぼけたような顔をしていて、何もかも忘れてきたような雰囲気に親しみを覚えさせられるけれど同時に不気味さも抱かされる。動きに乏しい表情で突飛なことをいい、その理由を説明しようとしない。もしくは、理由もわからず生きているようにみえる。そのうえ質問を寄せつけないような強情さがあるようで、必要な会話はできるけれど雑談をするのは難しそうというのが出会った当初の感想だった。理由がわからない、生きる意味とかそういう大げさなことではなく、お腹がすいたから食事をとる、とかそういうことにすら道理がなくおぼつかないように感じる。お昼休みになったら昼食をとる、それは当然で、あたりまえのことなのだけど、そんなことにすら違和感を覚える。浅野はどこか変だった。食事といえば、由海の家に日参することもそうだ。由海がいうには、転校初日から通っているらしい。初対面の人間の家にあがったりするものだろうか。私だったらそうはしない。浅野は、そうする。単なる趣味の違いとかではなく、何か恐ろしいことのように感じられる。由海の心が離れていってしまうとかの危惧はあるけれど、それだけではなく、やっぱり、浅野のすることに理由が見いだせず、空恐ろしい。怖くて、理由をたずねたことはない。
「由海ちゃんとちがって巴さんと話すのは楽です」
 ようやく、道案内とちがうことを話してくれた。でもやっぱり、彼女の話すことはわからない。喋ることのいちいちがほかの物事と繋がっていないような気がして落ち着かないし、どう返事をしたらいいのかもわからない。浅野と話しているとすこし息が詰まる。駐輪場で一緒に帰ろうといわれたとき、四十分も途中で降りることもできないまま黙りこんでいるのを想像して気後れした。
「由海といるのは楽しくない?」
「楽しいです。……ただ、由海ちゃんのまえにいるとどうやって話したらいいのかわからなくなります。何かいわないといけない気がするのに、話しかたや話題の見つけかたを忘れてしまうんです」
 私が浅野に思っていることと同じことを彼女が由海にも思っているというのがなぜかおかしかった。
「そんな、友達と話すときに意識して話す必要なんてないんじゃないの」友達、というところに力が入ったいいかたになっていたのにいい終えてから気づく。
「巴さんと話しているときは意識しませんが、由海ちゃんのまえだとうまくできないんです」言葉を切り、「巴さんは由海ちゃんとふたりのとき何を話しますか」
「何って……なんだろう」浅野がきてからは彼女の話をよく聞くけど、それはあまりいいたくなかった。「さいきん太ったとか、授業がどうだったとか、図書館に本を返さなくちゃとか、そういうなんてことない話だけど」
「そう、なんですか。……巴さんのしたかった話は何ですか」
 突然もとの話題にもどり、動揺して自転車が揺れた。
「何だったっけ」何から話していいのかまとまらず、というより、もとから何を話そうと決めてきた訳でもなく、なんでもいいから気持ちを口にしたかっただけだったので、改めて話をしようとするとまごついてしまう。浅野の腕にまたすこし力がこめられる。「……忘れていたわけじゃないんだけど、うまくまとまらない。何から話していいのかよくわからない」
「時間はあるのですから、最初からぜんぶでいいですよ」
「最初から、」最初といえば浅野が転校してきてからだろう。転校してきて、いつのまにか由海と仲良くなっていて、彼女の隣にいるのは私だけだったはずなのに、その場所を彼女も占めるようになっていた。家にもほとんど毎日あがるようになっていて、そうする友達は私だけだったはずなのにと思った。短くまとめてしまえば、私は浅野に嫉妬している。けど、こんなことは聞かせられない。聞かせられないことを話そうとしていることに気づく。彼女に話がしたいといったときはそんなつもりではなかった。心のどこかで嫉妬していることは知っていたはずだけど、言葉にしたことはなかった。言葉にするとわかりやすくて、身に迫ってくる。私は何度も浅野に嫉妬していた。私を交えて話しているときにも、ふたりきりでいるのを想像したときにも、嫉妬という言葉を知らないようにすごしていたけど、私はずっと浅野に嫉妬していた。いえるはずがない、でも、話したいといったのはどうしてか。きっと、ふたりきりになれば言葉が口をついてでて、言葉に動かされて次々に思いの丈を告げられると思っていた。でも、いまのような途切れ途切れの会話では、そんなこともできない。
 嫉妬じゃないこともある。彼女が由海の隣にいることや毎日お菓子をもらっていること、そのほかのいろいろと、私は嫉妬しているという味気ない言葉のあいだにあるものがたくさんあると思う。嫉妬しているなんてことをそのまま口にするのは怖かったし、それ以上に簡潔な言葉ではなく思っていることすべてを聞いて欲しかった。言葉にすることのできない感情の綾に隠されがちなものをすべて。
 たとえば、と、連想をかさねようとしてみる。浅野がくるまで私は由海のことをどう思っていたのか。好ましいと思っていたし、ともにすごすことが心地よかった。けど、それだけではない。疎ましいとも思ったし、憎たらしいとも思った。ときには彼女の愚鈍さや強情さに気塞ぎを覚えさせられることさえあった。そういった性質から彼女のことを好きになったり嫌ったりということはなかった。思いかえしてみれば、私は由海のことを好きとも嫌いとも思っていない。ただ隣にいるひとで、誰にも渡すことはないものだった。幼いころから共に生活をしているからではない、理由も何もないけれど、由海は私のものだった。私のものだから誰にも渡したくないはずなのに、浅野が現れて、安心もした。由海の存在は私と不可分で、好ましさも気塞ぎも分けざるものだった。浅野が現れて、私は、由海から解放されると思ったのかも知れない。それはやっぱり、好きとか嫌いとかの領域の外で、だ。
「何か、話しづらいことですか? わたしには話しにくいようなことを相談しようとされていたのですか?」
「そう……かも」
「何でも、話してくれていいですよ。由海ちゃんにもいわないので」
 言葉が空々しかった。嘘だとは思わない。浅野は友達だ。友達だけど、由海ほど近しい存在ではない、何でも相談する間柄ではない。昼食を共にしたり、ときには冗談を口にする関係ではあるけど、自在に言葉を交わす仲ではない。
「わたしは何となく、巴さんのいうことがわかっているつもりでした」
「やめて」
「いってください。巴さんの思っていることすべてが聞きたいです」