donuthole.org / novels / やることなすこと / 3日目 12月24日-3

170827(Sun) 18:55:12

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 クリスマス会、というほど華やかしいものではないけれど鶏の唐揚げやローストビーフ、ケーキなどが並んだ普段より豪華な食卓だった。私たちの買ってきたシャンメリーは一本で、三人で飲めばすぐになくなってしまう。安芸家は冷蔵庫にいつもジュースがある家庭ではないし、お茶にする気分でもなかった。というより、浅野は由海の家にきてからなんだか様子が変で、何事か急くようにお酒を飲もうといいだした。私は何となく怖いのでやめようといったのだけど、由海が同意して彼女のお母さんのものだというワインを持ちだしてきた。ワインはおろか、お屠蘇のようなもの以外にお酒を飲んだことのあるひとは誰もいなくて、私の家は父母ともに家でお酒をあまり飲まないので酔っぱらった人間を間近でみる機会といったらお正月とかに親戚が集まったときくらいだった。そういったときの父は普段見る彼のようではなく声も大きくなりなんだか知らない生き物になってしまう。私もそんな風になるのかと思うと怖かった。
 ワインは上手に栓を開けることができずコルクの屑が瓶のなかにはいってしまった。屑の浮いたワイングラスに由海と浅野は神妙な顔をして口をつけていた。きっと私も同じような顔をしていたと思う。初めて飲むお酒の味は苦くて渋くて、あまり好きなものではなかった。そんな顔をみられ、巴の舌は子供なんですね、なんて浅野がいうので無理をしてグラスの中身を一気に干した。浅野だってあまりおいしいと思わなかったのだろう。苦さに顔をゆがめてグラスを置くと、彼女も一気に飲んだ。そうして私たちは躍起になって瓶を開けていった。
 時間は十二時になろうとしていて、テーブルのうえには空になった瓶が三本転がっている。私たちも床に転がっている。横になろうと思ったりはしなかったはずなのに気がつけばそうなっていた。頭と体がぐらぐらして気持ちが浮ついている。すこし気持ち悪くて、どうしてあんなに飲んでしまったのだろうと思う。でもあのとき煽られて、浅野に侮られるのが嫌で、彼女も同じようにすれば負けたくなくなった。
 隣に寝転がる浅野の腕が触れる。巴、巴とうわごとのように淡く開いた唇が名前を呼ぶ。絡みつくように指先が前腕から肘へ、二の腕へたどってゆく。肩をつかまれ、頬に彼女の髪が触れる。目線が一瞬あったけれどそらした。由海のほうに視線を向けるといつのまにか台所の椅子に座っている。肩に触れていないもう片方の手が私の頬に触れ、言葉でないものを差しだされているようで彼女の気持ちが手にとってつかめるほどだと思った。
「浅野は酔ってるんだよ」
「それは巴だって同じですよ」
「酔ってるからって、私はそんなことしない」
 動作や言葉の息遣いで伝えようとしてくるものを見たくない。たまらなくなって口をひらいた。彼女の大きい瞳の黒目はゆらゆら揺れていたけれど私の言葉を境にそんなところがかき消える。
 怖いと思う。浅野はひとの目を真剣に見る癖がある、でもいまはいつものそれではなくてもっとじっと見られている。初めて浅野をみたとき、きれいな顔とととのえられたふわふわとした髪の可愛らしい子で、じっと見る目が水晶玉でできている人形のような子だと思った。ひと月と半月、私が彼女に馴れたからと彼女が私たちに馴れたからか、そんな面がどこかに姿を潜めて、人間らしくなったと思った。消えてしまいそうな雰囲気がなくなり、ひとりのどこにでもいるきれいな子のようになったと思っていた。いま見つめられていてもそう思う、けどその人間らしいと思ったものがもっとつよく、自分の意思に引っ張り回されているようで、怖いほどだった。
「巴は由海ちゃんとキスしたことある」
 あきらめたような投げやりな口調だった。
「どうしてそんなこと聞くの」
「聞きたいから」
「そんなの、ないよ。……あるけど、そんなのすごくちいさいころの話で……」
「ちいさい頃の話で?」
「いい。この話はしたくない」
 由海は遠くで目の高さに腕を持ちあげグラスを揺すっている。中身に口をつけることはない。
「話してよ」
 しつこい。立ちあがり、水を汲みにいこうとすると浅野もついてくる。
「ねえ、」
「話すつもりは、ないの」
 そういうと肩をつかまれ振り向かされる。またあの目だ、と思う。ぎらぎら光って意思を投射し、私の動きを止める。
「巴は怖いの? 由海ちゃんとずっと一緒にいたんだよね。ずっと一緒だったのにそんなこともしたことないなんて、怖かったんだよね。ずっと一緒にいて、これからもそうだって思っていて、だからわざわざそんなことする必要なんてないって思ってる。思おうとしてる。そんなことをしたら関係が壊れちゃいそうだから、幼馴染みじゃなくなってしまうかもしれないから。でもね、いまはわたしがいるの。巴が何もしなかったら、わたしは由海ちゃんをさらっていくから」
「私たち、そういうのじゃないから」
「そういうのじゃないって巴が決めつけてるだけ。ねえ、3Pしようよ」
 血が上り、頭がぐらぐらとして息が苦しくなっている。思わず、とか、咄嗟に、ではない。いまならずっと抱いていた苛立ちを発揮してよいと感じ、私は私の意思として行為を許していた、と気づく。そんな心理の動きに気づいたのは彼女の頬をはたいたあとのことだった。
「図星だった?」
 顔にかかる髪を払うこともなくじっといわれた。うつむいた顔の頬がだんだんと赤くなり自分のしたことがようやくわかってくる。空気が一変するのを感じた。離れたところで由海が驚き呆け、表情には苦笑いと恐怖とごまかし笑いが浮かんでいる。それらのすべてに腹が立った。
「違う! そんなんじゃない! 私と由海は、そんなのじゃないんだ!」
 浅野のいうとおり図星だった。けどそれを彼女が千里眼でももっているようにいうから腹を立てたんだ、いや違う。私は私の内部にある理由から怒っている。でも頭に血が上りすぎて何も上手に考えられない。頬をはたいた瞬間は気持ちいいと思った、胸がすくような思いというのを実感した。けれどいまは暴力をふるった恐怖とじんじん痛む自分の手の熱さに戦いている。呼吸が上手にできず胸のところで空気がわだかまっているのを感じる、目のあたりが熱くなり、鼻の奧がつんとする。
「私は由海をそんな目でみてない。浅野は、頭がおかしいんだよ……」
 目をそらされることはなくてそれがまた私に恐慌をもたらす。自分のしたことに自信がなくなり言葉尻が消えるような声になってしまった。
「わたしは由海ちゃんのことを巴がいうそんな目でみたことがある、たぶん巴のこともそう」
 急に気づいたように彼女は乱れた髪を頭を振ってよけようとする。酔っているせいか頭と体が一緒に揺れていた。そんな姿ですら怖くて一刻も早く逃げだしたくなる。
 つんとしたところはだんだんと痛さに変わってゆく、唇のうえがぼんやりと温かくなり違和感から咄嗟に拭うと鼻血がでていた。赤さが目に入ると息苦しさだけが理由ではない苦しさがくる。私は、それをいい口実にできると思った。血がでてしまったのだから仕方がない。そこに恥ずかしさなんてなくて、はやく自分の部屋に戻って血をとめないといけない。いま何か浅野にいいかえさないといけないのはわかっているけど、逃げることのほうが魅力的だった。だって、私が何かいっても浅野はそれ以上につよい言葉でいいかえしてくるのだから。