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121118(Sun) 23:46:19

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1章 二階建てのゆりかご

1

三月二十六日

 私たちの住む街はすばらし野という。昔からある街ではなく、もとは高坂とよばれていた土地だった。瑞祥地名に表されるように、ニュータウンで、開発された当時にはまだ多くはないコンセプトに基づき計画され、ぴかぴかの街にあたらしいひとびとが住む街だった。けれど、それはもうかつての話で、再開発も行われたけれどすでにひとびとは去り、死に、うち捨てられた空き家ばかりが並んでいる。
 私の家(正確にはお姉ちゃんの)は街を見おろす高台にある三階建てマンションの三階にある。灰色と若い緑の景色で、つくられた当時は中低層の住宅がずらりと並ぶ灰色がちだったのかもしれないけれどいまでは野放図の茂みに覆われた街がよく見える。灰色と緑、土の色が見えないないのは、すばらし野が地面のうえに立ってはいないからだ。コンクリートやアスファルトに舗装されているだけではない。街自体が鉄とコンクリートでつくられた人工の基盤のうえに建っている。橋脚のような太いコンクリートの柱に支えられた二階に住居が、一階部分には自動車用の道路、駐車場、いまはもうシャッターを下ろしたお店や、アトリウムのようになった場所は公園になっていたり、防災用貯水池などになったりしている。だから、すばらし野にはコンクリートを割ったり、隙間から生えてきた植物は多く見られるけど、土は街の向こう、地平線の近くの山にしか見えない。
 もうすぐ四月になろうという時期で、私たちは春休み。来年度からは高校に進学するから、二月すぎから続く長い春休みの真っ只中だった。二月の半ばにはもう実家を飛びだし、お姉ちゃんの家に引っ越してきた。ひと月も暮らせばがらんどうだった部屋にも私の生活の気配がしみこんで気安いものになる。窓枠に腰掛けて街を見おろすことにももう慣れた。ピンク色のこんもりとした塊が街のあちこちに散らばり、ふわりと風が吹き込んできて花びらの一片も運んでくる。そろそろ、準備しないと遅れてしまうだろう。睦未にメールを送ったけれどまだ返事はない。たぶんまだ寝ているのだろうから起こしに行ったほうがいいかもしれない。
 部屋をでてリビングに積まれた段ボールを見遣るとこれからの生活が予感できる。3LDKのがらんとしていたふたり暮らしも、すこしは元気になるかもしれない。お姉ちゃんは仕事に出かけたから、鍵は自分で閉めないといけない。実家で暮らしていたときには専業主婦の母がいたから鍵を持つこともなかった。戸締まりをすることにも、一ヶ月をすぎれば、すっかり慣れていた。
 睦未の家は街の中心近く、駅前にある。五階建ての、どの家やアパートとも同じコンクリート打ちっ放しの建物だけど、見た目は雛壇かバビロンの空中庭園かみたいな階段状をしていて、前面の張り出した部分が庭になっているマンションだ。コンクリートばかりの街でプライベートな庭を持てるというコンセプトの高所得者向けの家で、街がつくられた当時には睦未のおじいさんが住んでいたのだけれど、いまではもう彼女ひとりしか住んでいない。正面に立って見上げると放置された庭には元からあった植木もあとから生えてきた草木も区別がつかないほどこんもりとした緑に覆われている。唯一彼女の住む最上階の庭だけが申し訳程度に嵩が少なく見える。
 管理人も不在で、正面の扉は一年中開けっ放しにされている。誰も住んでいないのだから誰ともすれ違うこともなく、ひび割れた黄色いタイルを踏みながらがたがた揺れるエレベータで五階へ向かう。保守をされているのかもあやしく、いつか閉じ込められたり、もしかしたらワイヤーが切れて落っこちてしまうのではないかと乗るたびに不安になる。
 雛壇状になっているため、階を経るごとに室内の面積は狭くなっていくので五階は一戸しか入居できないようになっている。エレベータを降りて正面のインターフォンを押しても反応はない。いつも勝手に入ってといわれるので鍵も閉められていない扉を開いても気配はなく、やっぱり、まだ寝ているのだろう。
 睦未の部屋に入るとベッドのうえに当人といすみがいた。意外なことに睦未は起きていて、窓のほうをむいて、私に気づきもしないように座っていて、いすみは睦未の背中に手をあててゆするようにしている。いすみは睦未の使用人で、身長は三十センチの小人だ。
「睦未、起きてるならいこうよ。もう日和きちゃうよ」
「…………」
「ねえ、睦未」
 無視されているのか、それとも本当にきこえていないのか、肩をぴくりと動かすこともない。正面に回りこんで、ようやく私のいることに気づいたようだ。
「ほら、いくよ」
 なのにまた、私のいることを忘れてしまったように視線はふっと外されて、あとは眠っているみたいにぼんやりと袖机の携帯やらをポケットに突っこんで立ちあがった。ふらふらとした歩みで部屋を出ていく後ろ姿を、いすみの目が追っていた。いつもは勝ち気な彼女も、睦未のおかしな雰囲気に困惑しているみたいだった。いすみの頭を撫でて、睦未の背中を追う。
「ねえ、つばさ、日和は、ほんとうにくるのかな」エレベータのボタンを押しながら睦未がいった。
「来るに決まってるじゃない。家でたってさっきメールきたし、それに荷物ももう送られてるし」乗りこみながら返事をする。エレベータはがたがた揺れた。