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1章2節その2

一番最初
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 小型の漁船のような船に乗り、湾をでてから三十分くらいがすぎた。淡潮島まであと半分くらいだろう、初夏の陽のもと、波は穏やかで東京よりも緯度の低い海は暑く、凪いだ海が広がり、島の姿も鳥も見えない。船のエンジンの音だけがきこえてくる。魚もときどき水面をはねたりしている。
「学校にはね、これしか船がないんだ。定期便もなくってね、だから、しばらく戻れないよ。もう、遅いけどね。島には学校しかなくってね、他に人はいないんだ。でもでも、学校ならたくさんひとはいるしさみしくはないよ。買い物とかはできないけどね。週に一回、買い物にいったりするだけ。でも、ほとんどの人は外にいけないよ。先生と、生徒はだいたいみんなだめ。よしのはだいじょぶだと思うけどね。それ以外に淡潮の外にいくっていったら飛行機しかないかな。滑走路があるんだ。もう使われてないから飛行機はないけどね。作ったら、遠くまでいけるかも。あたしの藤組にね、機械とかすっごい得意な子がいるんだー」
 島から出られないというのは、祖父の研究に関係のあることだろうか。学校の資料のほか、菊組の人たちの情報と一緒に彼の研究の梗概を記したものがあった。
「なんか、大変そうですね。外に出られないなんて。みんな寄宿舎に住むんでしょ。ひとりになれないなんて大変そう。結城さんは大変じゃないですか」
「あやな、ね。だいじょぶだよー。みんないい子だし、さみしくないよ」
「そっか……」
「島についても驚かないでね。宗像先生の研究についてどれだけ知ってるの」
 わたしは彼の研究をどれだけ知っているのだろうか。数枚の梗概だけの紙を読んだだけだ。彼の論文(当然彼が全部書いた訳ではないけど)を読んだことはないし、封筒のなかにはいっていたとしても、わたしには読めないだろう。それよりも、あやなさんが訊いているのはどのような研究がされていたかじゃなくて、そこに住んでいる人たちのことだろう。研究のはて、どのように変わっていったか、どのように精神に作用していったか。たぶん、そういうことだろう。
「ううん。ぜんぜん。梗概くらいは読んだけど」
「そっか。じゃあ教えてあげる。あやなはね、心が読めるんだよ。いまは読んでないから安心してね。あと、怪物なんだ。淡潮島の淡潮学園の怪物。世界で唯一の完全に人でない、一匹の怪物なんだ」
「へぇ……」それが、研究の成果なのだろうか。心を読める怪物、人と同じ見た目をしているけれど、人でない怪物。結城あやなのことは資料には載っていなかったから知らないけれど、きっと、そうなのだろう。どのような怪物なのかは、わからないけど。
「反応薄いね。もっと、驚くと思ったんだけどなあ!」
 わたしとあやなの会話を、菜摘先生は欄干にもたれたままきいている。淡潮の子どもたちはみんな祖父の研究の遺産で、大人たちはそこの研究員だったときいている。ただの人間のわたしは、子どもだけど大人たちに近いものになるのかもしれない。
「そんなに予想外だった訳じゃないよ。すこしくらいはどんなところか知ってたから」
 水平線の向こうに小島のかげが見えてきた。
「あれが、淡潮島ですよ。宗像さんが、これからすごすところです」
 菜摘先生がゆっくりと口をひらく。欄干にもたれながら眠たそうにしている彼女はすこし寝不足なのかもしれない。茶色いふわふわとした髪に縁どられた顔の目に、くまができている。
「菜摘ちゃんはいっつも大変なんだよー。毎日夜まで仕事してるんだ」
 陽気に温められた空気が吹いている。少しだけ汗をかきながらこれからの生活のことを想像する。いまよりもっと幼いころの焦燥のように甘くて苦しい感じで、きっとこれからたくさんのことがあるだろうと予感させられる。今まですごしてきたところとは全く違うところだろう。島という環境も、人々もだ。だけど、焦燥は幼い夢のように裏切られるだろう。今までの生活がいやになり逃げ出してきたけれど、少しすれば今までと同じ毎日になるだろう。無鉄砲な幼い夢に突きうごかされ、臨んだ先にも今までと同じ生活が待っているはずだ。何度も繰りかえしてきてわかっている。毎日は強固で突き破れない。だから、安心してもたれかかってしまうんだ。少しでも、今までと違うことがあるといい。