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2章1節その2

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「あやな先輩!」
 声の主は萌だった。
「なんですか……これ……」
 初めて見る、怒りをあらわにする萌だった。小さなからだを震わせて、あやなさんを睨みつけている。
「こんな、死者を愚弄するものが許されると思っているんですか!」
「何を怒っているんだい。いや、予想はしていたよ。中野とゆきの関係を思えば当然だ」
 萌の顔がこわばる。「……だから、なんだっていうんですか。それと……これとは関係ありません。こんな、ゆき先輩を馬鹿にするような本、認められません! ……ゆき先輩が、悲しみます……」
「死んだ人間は考えられない。認めないのは中野だけだよ」
「そんな……花ちゃんは、紅葉と青葉だって! わたしのこころが読めるんでしょう。それなのに、これを演るっていうの!」
「ああ。花ちゃんは反対していないし、双子も同じだ。中野の思いは痛いほど伝わってくるよ。苦しみも痛みも、ゆきへの想いだって。だけどそんな苦しみも想いもはありふれている。学内にはいま、中野より強い痛みに耐えている子だっている。喜びの絶頂にいるのだって、空腹を抱えているのも、楽器の練習に打ち込んでいるのもいる。ありふれたもので、くだらないものだよ。苦しみも悦楽も、感情なんてものに価値を見出す余地はない。それに、よしのが入ってくれたからね。これ以上の役者はない」
 萌は泣き出し早足で視聴覚室を出ていく。すり鉢状の視聴覚室の底にわたしたちが残される。
「はあ……そろそろ受け入れてくれると思ったんだけどね。くだらないものだよ。感情なんて」あやなさんがまた吐き捨てるようにいった。ただひとり事情のわからないわたしは困惑して突っ立っていたけど、気づいたら隣に花さんがいて、追いかけたら、といってくれた。
「べつにぃ。花はどっちでもいいんだよ。この劇をやっても他のにしても。でもぉ……せっかくよしののが入ってくれたんだもん。花はこれがいいな。それに、よしののにはわからないとおもうけど、やっぱり感情なんてくだらないよ」花さんが薄桜色の髪を揺らし、笑ながらいっていた。
 淡潮島は携帯の電波が入らないので学内ネットワーク専用の端末が配られている。相手の認証があればだいたいの位置と向っている方向を表示できる便利な機能もあるので、萌が校舎と寄宿舎の間のところにいるのはすぐにわかった。階段を降りていると伊藤さんと鉢合わせになる。
「どうしたんだ。さっき、中野が泣きながら走っていったけど」
「ちょっとね」図書館に寄っていたらしく、伊藤さんとの手には本が三冊あった。「ちょっと急いでるから」
 残りの階段を駆け下り、上履きも放って外に出た。学校と寄宿舎の間のところにいるみたいだ。屋外の位置の特定は精度が低く、萌の姿はなかなか見つからない。
「めぐみー?」
 応える声はない。放課後の校庭に陸上部の練習風景が見える。トラックを走るひと。槍を投げるひと。呼びかけを続けていると体育倉庫と体育館の間の路地に走り去るひとが見えた。体育館の影に消えた髪は二つ縛りの黒髪だった。
 体育館のまわりで追いかけっこををする。萌の脚は意外に早く距離はなかなか縮まらない。体育館のまわりを一周し、寄宿舎脇のところでようやく捕まえた。
「なんで逃げるのよ……」
「…………」
 息を切らし、手首をつかまれたまま黙りこくっている。力が抜けて、握った手が離れると、萌の手はだらりと垂れさがる。まだ泣いているみたいで、顔の見えない背中が震えている。結ばれた髪にあらわになった首筋は赤く、髪がほつれかけている。
 もう一度手をつかみ、寄宿舎脇のベンチに連れていった。ここなら人もこないだろう。大人しく座らせられる彼女は一言もしゃべらず、時々嗚咽をあげながら泣いている。ハンカチとかを持ち歩く性分ではないので流れる涙は萌の指が拭うだけで、そのうち目のまわりは涙でぐしゃぐしゃになってしまう。
 追いかけっこをしているあいだ、校舎のほうからきっと恵ちゃんたちだろう弦楽の練習がきこえていた。それ以外にもドラムを叩く音や何だかわからない金管の音もきこえていた。
 だけど、そのどれもが日陰になった建物と建物の間には届いてこなくてひっそりとしている。萌の泣き声しかきこえない。花さんにいわれるまま追いかけてきたけれどどうしていいかわからず途方に暮れ、頭でも撫でてみようと手を差し出すと振り払われた。
「……あっ、あのね……あやな先輩の台本、」
 話してくれるみたいだ。
「うん……なんか、わたしはきたばっかりだからよくわからないけど、あんまりよくない内容みたいだね……」
「……演劇部の、先輩の話なの。もう卒業した田村先輩と、ゆき先輩の……」
「そっか……」
 さっきの話を聞いていると、その髙田ゆきって先輩は亡くなっているみたいだった。けれど、それだけではそこまで怒ることはないだろうし、きっと何かがあったのだろう。
「ゆき、先輩は……去年亡くなって。それで……わたしと、一緒の部屋だったの……」
 話していると落ち着いてきたみたいだ。「それで、田村先輩は怪物で、すごく強かったの……。誰だって歯が立たない、いちばん強い怪物で……。あやな先輩を怪物にした人……」
 わたしが転校してきたとき、ふたり部屋をひとりで使っていたのはそういう事情らしい。でも、普段怒ったりしない萌がああやって怒ることはめずらしく、だからきっと、それほど仲がよかったのだろう。
「ゆきが、ゆきのことをあんな風に書くなんて……ゆきはそんな人じゃないのに……」
「そっか。それは、辛いね……」
 こうやって泣いている人を慰めるのは初めてのことで、要領を得ない言葉を返してしまう。そういえば、わたしが入ったのだからってあやなさんはいっていたけど、どういう意味だろう。いまは訊けそうになく。また手をのばして背中をさすった。
「うん……」
「先輩と仲がよかったんだね」
 とまっていた萌の涙が再び堰をきったように溢れはじめた。やめることのできないまま、振り払われることもないので無言で背中をさすり続ける。もう、演劇部にはいかないといわないか少し不安になった。転校してきて一ヶ月、みんなと仲良くでき、居心地のいい場所だった。こんなときにも自分のことを考えているのだなと自分にあきれる。みだれた髪をなおしてやりながら、泣き声をきいていた。
 気がつくと陽はまだ暮れないけれどずいぶん傾いていて、ベンチのあたりは日陰になっていた。足音がきこえ、そろそろ部活の人が帰ってくるのだろうかと顔をあげると千佳が立っていた。手が土に汚れている。園芸部の活動をしていたのだろう。
「おまえ、萌を泣かせたのか」
「いや……わたしじゃなくて……」
 きつい、尋問されるような声は初めてあったときから二度目で、睨む目はいつものことだったけどしどろもどろになってしまう。
「じゃあ、ゆき先輩のことか。変なことでも訊きだしたりしようとしたんだろ」
「ちがうの……よ、よしのちゃんが訊いたんじゃなくて、わたしがわるいの……」
 泣き声の混じった萌の声に、千佳の視線はわたしから離される。
「おまえはあっちいってて」
 そういわれて、わたしにできることはないのだろうとベンチを離れる。ゆき先輩、ってひとはそんなに有名なのだろうか。それとも、千佳たちは萌の部屋によくいってたそうだし顔見知りって訳なのだろうかと勘ぐってしまう。
 しばらく情けない気持ちのまま体育館の壁にもたれた。手には長い間さすっていたせいで萌の体温が残っているような感じがする。怒鳴り声がきこえてきて、とっさにふたりのほうを覗いてしまう。遠くて、会話は断片的にしかきこえてこないけど、ゆき、とか、ゆき先輩とかっていうふたりの声がきこえ、なかにはわたしの名前もでてきた。気になるけれど、わたしの出る幕はないのだろう。まだ一ヶ月だけど、同室なのにという気持ちがこみ上げてきて、理不尽な気分にさせられる。
 話がとぎれ、しばらくすると千佳がきた。
「もう、だいじょぶだから。部屋に連れていってあげて」
「う、うん……」
「別に、おまえのせいって訳じゃないから気にするな」
「わかった。ありがと」
「おまえは嫌いだけど萌は好きだから。……訊きたかった萌に直接訊け」といわれた。そんなに訊きたそうな顔をしていただろうか。
 演劇部の練習も終わったのか、あやなさんたちが戻ってくる。千佳はそっちへ駆けていって、また怒鳴り声がきこえた。怪物とかってきこえてくるけど、萌のほうが心配だった。
 ベンチに戻ると萌は泣き止んでいて、泣きはらした赤い目で見上げ、笑いかけられた。
「ごめんね、よしのぉ」
「いいって、別に」
「ううん。ごめんね……」
「なんだかわからないけどいいよ」
 千佳たちはまだ言い争っているみたいだけど、萌の手をひいて寄宿舎に戻ってゆく。外階段をのぼっているとだんだん陽がオレンジ色になってきていて、空は黄色っぽい色になっていた。最近は陽がのびてきてなかなか暗くならないことに驚く。四階の踊り場で、黙っていた萌がようやく口を開く。
「ありがとね」
「いや、いいよ……」
「空、きれいだね」
 向かいの棟と烏帽子型の山、その両側に広い海と空が見える。ぼけた色合いの、昼間と夕方のまえの色だ。
「そうだね」
「あんまり、思ってない……?」
 まだ目は腫れていて、それでも大きな瞳でじっとみてくる。彼女のくせみたいだ。はじめは落ち着かなかったけれど、最近は慣れて見つめあったりもしていた。
「思うよ。萌は可愛いね」
 突然に抱きつかれた。「そんなことないよ……」表情も見えないままそういわれた。これは友情なのか、そうでないのかと思いながら、流されるように萌の背中に手をまわした。自分の気持ちもわからないまま何をしているのだろう。萌も、わからないまましているのだろうか。友情では、ないって思っているのだろうか、と思っていたら急に身が離され、「ごめんなさい」という声は涙声のような気もした。顔を見る間もなく、萌は寄宿舎のなかに消えていく。重い鉄製のドアの閉じる音が耳のなかにわだかまっていていた。どうやって部屋に戻ればいいのかわからないまま陽が暮れて、夕食の時間まで外階段で立ち尽くしていた。