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2章10節その2。
なし崩しの愛。

一番最初
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 それっきりで彼女は出ていってしまう。わたしひとりなんだ、この寄宿舎のふたり部屋のなかで床に座って泣いているひとりの子なんだって意識して、蜂の巣みたいに並んだ個室を集約させてその他施設を付属させた二棟の建物のなかにはわたしだけしかいないことを、衛星の軌道からからひとつのカメラの目に見下ろされ透視されている、ごく客観的な風にとらえているのに獲物をめがけて飛ぶ大型の鳥のような寂寞感に捉えられ身動きできなくなっていた。怖い病気はやだな。病気だったら、しばらく研究所にいれられて出られなくなってしまう、未練のようなよしのの思いをどこへ持っていけばいいんだろう、こんな気持ちにさせられる原因は彼女で、鈴木百花みたいに薬漬けにされて部屋も変えられちゃったら酩酊のなか、なにも知らないのと同じになるだろうか、さすがにそれは飛躍しすぎだって嘘つくように病気なんかじゃないっていい訳している。這っていく気力もなくて蔓を伸ばして携帯をとり、呼び出すのは千佳の番号で、恋人だったんだって思い出したからすがろうとしていた。
「千佳ちゃん、わたしおかしいの今すぐきて……」
「んう……どうしたの。こんな早い時間に」
「もうお昼だよ! ねえ今すぐきて、わたし変なの!」
 通話はきれて、三部屋はなれた距離を遠く感じている。床に寝転がり天井をみている。わたしがおかしいのに外は真白な日差しをしていて、二棟と向こうの山が昨日と同じままにある。わたしの異常と外側のものが決定的にずれていて、ゆきだったらこういうとき世界か自分のどちらかを塗り替えられたのかなと思った。わたしのおかしさを関知しない理不尽をむやみに感じていて、空っぽな気分、見放された気分でいるのだけど、頭の芯のところは冷静で、もしかして脳幹から冷静なのだろうか、いやそこに理性はない大脳辺縁系以降にしかわたしは存在していない、でもこんなわたしはわたしでない、認識の齟齬は言葉と精神の垣根をむちゃくちゃにしてしまって空中分解してしまいそうな気になってくる。控えめなノックがあり、でも口を開く気力もないので返事をしないでいると千佳がきた。逆さまの視界のなかに立ち見下ろしている寝間着姿の短髪の顔をみて、おきてすぐに来てくれたんだ、そういえば彼女が恋人だってさっきも思ったのにすぐ忘れてしまうことを思い出す。
「どうしたのそんなところに寝て、夢遊病? それでどうかしてるの」
「ちがうの、茶化さないで」
 もそもそ口をひらいて寝癖の毛先を目で追う、くるりと突飛なほうを向いた毛先はちゃんと見えている。おかしくない。目はちゃんとしている、からだもちゃんとしている、現実を依属するものが壊れている。決定的な違和を扱うことができずあまらせた状態は時間が解決してくれるのだろうか。よしのが恋心をなくしたっていってたときも同じような感じだったのだろうか。だとしたら認識をわたしに頼っていてくれたのかな、プライマリの認識手段にわたしをおいていてくれたのかなって都合のいいことを考えている。人の頭のなかはわからないからただの想像だけど、彼女もそうだったらいいけれど、でもそんなことを思っている場合じゃない、まずはわたしのことだ。
「おきたときからなんか変なの。よしのちゃんのことわからなくなっちゃったんだ。なんか考えてることと感情が一致しない、ひもづけられた言葉と感情の駆動関係が失くなってるんだ。考えたことがフィードバックされなくて、なんというか感情の側がロックされてるような感じで、とにかく変なの。わたしどうかしちゃったのかな。でも、よしのちゃんのことだけで、ほかのこととかはいつも通りで、千佳ちゃんのことも普通に認識できるのに……とにかくとにかく気持ち悪いの!」
 未だ整理されない感情をつらつらと放ってゆく。面食らったような顔をしていて、わたしにもわからないんだから千佳にもわからないのは当然かもしれないって思う。だけど気持ち悪さの一端を唇から切り離すとすこし気分がましになるような気がする。こうやって気持ちを軽くして、歳を経るごとに脳が軽くなっていくのかもしれない。
「……とりあえず起きたら。からだ痛いでしょ」
「うん……」
 からだを起こすと涙の伝うむきが変わってまだ泣いていたんだなって気がつく。座って向き合って、どんなことばを吐いたらいいのかわからなさそうな顔を凝視して、よしのにしたようにやさしい言葉をかけてくれるのを都合よく期待しているのは恋人同士って関係の担保があるからなんだ、ひどいなと人ごとのように捉えた。
「起きたし、次はご飯食べようか。ほらさ、本当にくだらないと思うけどこういうときってとりあえずご飯食べとけば何とかなるって種々の創作にあるしさ、きっと気分も落ち着くよ。たぶん」
「まだ泣いてるからいけないよぉ……」
「仕方ないなあ」
 隣に座っていつかの出来事のように顔を拭いて抱きしめてくれた。「ごめんね……ありがとぉ」「いいよ別に」「ううんわたしひどいよ……」「いいから」こんなことばっかりで、よしのと千佳のあいだで振動する弦のように繰り返される泣いたり笑ったりキスしたり抱きしめられたりいうサイクルがそのうち落ち着くときがくるのだろうか。ひどいことをいっても笑って慰めてくれる彼女のことをよしのへの思いと違って意識が感情に反映されこのまま、プールのときみたいにもうちょっと寄りかかっても許してくれるかなって気がして、いやいやこれ以上はだめだ、わたしはよしののことが好きなんだ、違うほうを向いてはいけないって思うのに暴走する感情に駆動される思考はもう手綱を離れている。
「千佳ちゃん好きぃ……」
「はいはい。私も好きだよ。さっきより泣いてるじゃん。これじゃ気が全然休まらないでしょ」
「ううん……気分よくなったの。頭なでて……」
「そうやってつけあがるんだから」
 そういいながらもきちんといったとおりにしてくれて、わたしはたまらなくなって彼女の胸に顔を押しつけ大泣きしている。痩せているのにやわらかくて熱をもっていてそのことにまた気持ちが傾いていく、もう千佳のこと全部好きになっちゃっていいかな、こうやってやさしいことをしてくれるんだから、もっと甘えてもいい、許してくれるって迷惑を顧みることもしないで今わたしは泣いているんだからって何に付与された特権なのかもわからないまま暴走して受け止めてもらえることに安心しきっている。冷静な部分ではこうやって足下をすくわれていくんだろうってわかっているけど、暴れる気持ちを野放しにできるのは気持ちよかった。
「そんなに甘えないでよ。私、どうしたらいいのかわかんないし」
「花ちゃんはこんなことしない……?」
「うん。しない。花はいつもふわふわしてるけど自分のことはみんな自分でどうにかしちゃうから、こんなことしないよ」
「わたし、してていいの……」なんて答えてくれるかなんてわかっているけど、千佳が手ずからいってくれるのを期待しているんだ。
「いいよ。別に。ほら、経験だしさ。またいつか、萌とは違うひとかもしれないけどこういうことがあるかもしれないでしょ。そのときのための勉強」
「やだぁ……わたしがいい」
「うん。ちょっと困惑するけどいいよ。一緒にいるときはさ、一応、期間限定だけど、そうなんだからさ」
 わたしたちは恋人同士弱いもの同士、花ちゃんや、五階のひとり部屋で暮らすあやな先輩とは違う。理性を持っているって自分では思っても、それを手放してしまう。暴れることが好きなんだ。暴れてそれを受け止めてくれる人がいる、認めてくれて、不具を許してくれるひとが共にいてくれることを望んでしまう、脆弱だけど心地いい状態が好き。わたしも、千佳が泣いているときには同じようにできるだろうか、してあげたいってずぶずぶの温かな愛情のなかで思っている。あやな先輩はのいうところの物語には、こういったものは含まれていないのだろう。やっぱり孤独で、底のない暗闇のなかを往くことはわたしには無理だ。
「ずっとがいいぃ」
「なんか花みたいな話しかたするね」
「息、つまってうまくしゃべれないのぉ……」
「……ずっとなんていられるのかな。私、花に好きっていわれたら萌のことなんて忘れちゃうよ。きっと」
「じゃあ、いわないで欲しい……」
「ひどいね。それじゃ私が幸せになれないじゃん」
「ひどくてもっ、わたしとがいいのぉ。わたしと幸せになって欲しいの」
「仕方ないね。別にいいけどさ、どうしていいかわからないよ。花のことは好きだけど、いまは萌のことも好きかもしれないし、どうしたんだろうね。ほんと不誠実だよ。仕方ないのかな、うその関係でも、続けてたらこうなっちゃうのかな。そんなの、言葉に惑わされてるみたいでやだけどああ、別にいいか……」
 仕方ない、別に、って何度もいっている彼女をなしくずしの愛にとらえて、ずっと一緒にいたいって思っている。わたしは単純なのだろうか。友情と恋の区別がつかなくなるような愚かしさは理性の欠如によるものなのか、もう考える気もおきない、ずっとこの気持ちのいい膜のなかにいたいなってばっかりがある。
「わたし、千佳ちゃんのことが好きだもん……いま、よしのちゃんより好き」
「はあ……そうだよね。私も好きだよ。うん、好きになってきた気がする」
 ぐじぐじ泣く背中をさすって、ぽんぽんとたたいてくれるのを実感しながら振動の落ち着く先を量っている。振れた弦をはじいたひとは誰だったのかとくだらないことを思い、よしのと千佳のふたりを天秤にのせ平衡する天秤皿に指をのっけて傾けるのはわたしの意思だ。
「早く落ち着きなね」
「うん。がんばる……」
 そういってからどれくらいってたぶん一時間くらいも、涙が止まったあとも甘えきってべたべたしていたら多幸感にちょっと気がどうかしそうな気がしてきたので起きあがったら腫れた目を笑われた。笑わないでよっていっても笑われて、わたしも笑った。泣くと体温が上がってたくさん汗をかいたのでシャワーを浴びようとしたら昨日の濡れた服がかごにいれっぱなしになっていたので洗濯することにした。ランドリー室にはすでに杏ちゃんと広畑先輩、チャペルなんてないけれどそう呼ばれることもある高橋夫妻と細野さんがいて、まわる洗濯機の音とボイラーの振動のなかだらんとベンチに座っていた。生活の風景って気がして、並んで座る千佳の手をとった。何、って照れながら訊いてくるのを何でもないってごまかすのはわかっているだろう。互いのことを知っていて、その機微を推測できる関係の言葉が心地よく響き、にやにやしていたら気持ち悪いといわれた。
 二部屋ぶんの洗濯かごを抱えて五階までもどる。千佳ちゃんはいつも内階段を使っているけど今日はわたしにあわせて外階段を上ってくれた。今日は一段と日差しが強く、すれ違った和田さんとかと暑いねーっていったりした。ざあざあと吹く風が森を揺らし、風力発電機の翼を回し日差し太陽光発電をさせ、目には見えないけど勢いよく電気をつくっているのは夏だなあと思う。
「でへへ」
「変な笑いかたしないでよ」
「やっぱりわたしばかなのかなあ。考えなしだし、自分のことよくわからなくなっちゃうときがたくさんあるし」
「うん。萌はばかだよ」
「ひどーい」
 振動のひとつ、四階の踊り場で洗濯かごを抱えた格好のマージンをうめる背伸びでキスをする。こういうひとって時々いるし、やっぱりわたしもそのひとりで、並ぶ個室のひとつにすんでいる、寄宿舎のひとりなんだ。びっくりしたように固まって少し顔の赤い千佳をみて泣かせてみたいな、甘えられたいなって思う。知らないところでも繰り返され、淡潮に移相されるまえも名を知らない先輩たちが同じことをしてきた、未来なんてあるかわからないわたしたちの恋は瀕死かもしれないけれど、繰り返しの揺籃を、いま、高等部菊組に残された一年と半分の猶予を何でもない顔をしながらへらへらふわふわすごせたらいいなって感じる。
「いきなりはなしだよ……」
「不意打ち戦法だよー」
「はいはい……」