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2章5節その4。
海水浴2。

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「もう誰かきてたみたいだね。さぼりはいけないなあ」
 なんて、私たちも同じなのに広畑さんがいう。私たちはビニールシートとか持ってきていないので焼けた砂のうえに直接荷物を置いて、かえるとき砂まみれになってたら面倒だなと思った。ふたりは服の下に水着を着てきたみたいで準備運動もしないでさっさと泳ぎにいっていた。杏里は普通のからだだけど、広畑さんのほうは肌に鱗が生えている。手足も広くて泳ぎに適し、水の中でもよく目が利くともいっていた。だから、海が好きでそのうちに魚にも興味を持ってアクアリウム部をつくったらしい。決して背の高くない自分のからだを見下ろし、それから、渚で笑うふたりをみる。きらめく水に足をつけ、高いところでひとつに結った広畑さんの、人でないからだ。人でないとか関係なしに背の高いからだをみて、彼女が泳ぐ姿は格好いいのだろうなと去年プールでみたふたりを思い出す。水をかきわけて泳ぐ彼女と、足だけをつけてプールサイドで座っていた彼女、格好いい広畑さんと可愛い杏里、お似合いのふたりとぼんやりみていた。私も水着をしたに着てくればよかったなと思いながら花のまえで着替えることに初めて抵抗を覚えたことを思い出す。暑くて、汗のあとのできた服を脱いで水着に着替える。ふたりも、誰だか知らない人たちもみんな海のなか、ひとり浜に立って裸でいる私はなんとも変な格好だと思いながら恥ずかしくなった。花に思いが通じていたらこのからだを見せることもあったのだろうかって頭の端で考えていたからこんなに恥ずかしいんだ。後を追って海へはいろうとすると岩のかげから小さい男女が出てきて、女のほうは平たい浮き輪をかかえていた。初等部の雷鳥と雲雀、石黒千明と男のほうはたしか桑野洋介だ。どちらもあまり関わりがないけど石黒のほうは二棟三階の階長で、階長会議で顔を合わせることがあった。ふたりとも濡れたからだで、石黒は色の薄い髪を額や首筋にまとわりつかせている。確か彼女のほうが年上で、桑野のほうはひとつ下だったはずだ。仲がいいって話はきいたことがなかったけれど、こうやってふたりで海にくるくらいなのだから仲がいいのだろう。杏里たちも石黒たちもそういう相手がいて、私は花に違う好きだといわれてしまったあとでまた気が沈んできた。
「樫野センパイどうしたんですか」
 石黒たちも気づいたみたいで先に声をかけられた。ずっと泳いでいたみたいで少し疲れた風で、唇もあおくなっている。
「さぼりだよ。広畑さんたちにさそわれてね、たまにはこういうのもいいかなって」
「そうなんですか。私たちと一緒ですね」
「ちゃんと授業には出ないとだめだよ」
「センパイも授業でないとだめですよ」
「私はたまにだからいいの」
 あまり話したことなくて、会話の種もないから適当なことをいいながら初等部はまだ女のほうが背が高いのだなと眺めていた。背の高くて女の子っぽいワンピースの水着を着た石黒に、黒い水着をきた背の低くて可愛らしい桑野でひとつお姉さんの彼女のほうが手をひき、好きあっているのだろうな、私にはこういう時代はなかったなと思い出した。きっと、このあと別れたとしてもまた別の相手を見つけることができるだろう、私みたいに、花以外を好きになったことがなくてそれが叶わなくて落ち込んでしまうような恋愛はしないのだろうと思っていた。
「センパイ、浮き輪使いますか。私たちはしばらく休んでますので」
「ああ、ありがとう。借りてくよ」
 海にはいると杏里は背泳ぎで浮かんでいて、広畑さんのほうは入り江の外近くまで泳ぎに出ていた。水は透明で、足下に揺らめく海草まで見える。火照ったからだに冷たい海水が気持ちよくてしばらく泳いでいたけれど元々運動なんてしないし泳ぐのも一年ぶりですぐに疲れて浮き輪の上に寝転がり、濡れたからだが少しずつかわいていくのを楽しみながら危ないなと思いながら眠りそうになっていた。花みたいに、すぐに赤くなってしまうからだだったらなかなかこういうことはできないだろうなと思い、出来事からすぐ花のことを考えている自分はどうしようもないくらい恋をしているのだろうと気づかされ恋って言葉与えられなかったらこんな状態に陥ることもなかったのだと考えて逃げるように眠りに落ちた。
 うたた寝から目を覚ますと結構遠くまで流されていたみたいで入り江のふちに浮かんでいた。戻れるだろうかと慌てて起き上がると姿勢を崩して海に落ちる。突然のことで半分溺れながら浮き輪に捕まろうとすると浮き輪にはすでに杏里腕をのせてこっちを笑っていた。
「疲れてるの」
「普通、だよ」
 恥ずかしいところをみられたと思い、掴まったまま海のなかに顔を沈めた。まぶたを閉じた視界は何も見えなくて、けれど海水に浮かぼうとするからだがふわふわとしてずっとこんな風にしていられたらいいのにと思う。ふわふわして、明確な意識がなければ、欲をかかなければこんなことにはならなかったのだ。人の思いなんて通じる訳はない、結城先輩がいっているように、くだらなくて、そんなくだらないものを抱えたまま満たされず、満たされないままでいることに我慢ができない弱い私はそれを通じてくれと祈り、ついには打ち明けてしまう。本当にくだらなくて、どうしようもないことだった。そんなことを考えているうちに息が苦しくなり顔を上げるとまたくすくすと笑われた。濡れた黒い髪を適当に整え、濡れていてもウェーブした透き通る薄い金色の杏里をみる。これくらい可愛かったらよかったのだろうか。花の気持ちを数値にして考え、好きになってくれる閾値はどこだったのだろうとありもしない線をつくろうとしてもう一度自分の黒髪をととのえた。短い髪はすこし男の子みたいで、ぽわぽわとした花を守れるようにと願をかけたものだったのにそれも果たされそうにない。ときどきみせる冷えた表情としっかりしたところを思い出し、どっちが本当の花なのだろう、冷えた花だったら私が守るまでもなかったのだろうと思っていた。
「私、どれくらい寝てたの」
「ほんの少しですよ。でも、杏里が浮き輪をこっちまでおしてきても目さまさなかったし、ぐっすりだったよ」
「杏里がしてたのかよ……」
 どっと疲れて男みたいな口調になっていた。これも、練習したものだった。中等部まで長かった髪を切ってもらい、今でも短いまま維持しているこれは花にきってもらっていて、鋏もきるときの覆いの布もクローゼットのなかにしまわれている。これからは、のびていくのだろうか。それとも、女々しく短いままでいるのか。帰ったら花はどんな表情をしているのだろうかと益体のないことばかり考えていた。
「今日はほんとぼんやりしてますね」
「うん……花に、ふられたんだ」
 ぼんやりという杏里の言葉に誘われるみたいにぼんやりとしたことをいっていた。花にもいうつもりのないことを告げてしまったし、杏里にもするはずのない告白をしていた。きっとどこかできいてほしがっていたのだ。自分の気持ちを表明する、くだらないことのひとつだ。
「そっか、だから今日はずっと変な感じだったんですね」
 広畑さんはまだ泳いでいて、入り江の端、背の高い岩のところにいた。
「うん……洗濯当番のあとにうっかりいっちゃって、そんなこと、いわなくてよかったはずなのに」
「いわなくてよかったのに、はないと思うけど……いわないで抱えてるよりはいいんじゃないかな」
「どうかな……結局ふられちゃったんだし」
「まあ、そういうふうに通じないこともあるよ。杏里も、千尋に最初告白されたとき戸惑ってやだっていっちゃったし」
「…………」
「それでも千尋はめげなくてね、三回目でようやくいいよ、っていったんです。今思えば一度目でよかったのにね。千尋がなんでそんなこというのかわからなくて杏里も同じ気持ちだったのにばかだからすぐには自分の気持ちがわからなかったの。ひどいことしたって今でもときどき思い出します」
「そっか……」
「だから、花も同じじゃないかな。ずっと一緒だったんだから、こんどはうん、っていってくれるかもしれないです」
 花もおなじ気持ちだった、今度は、花も同じ気持ちだよぉ、っていってくれるのを想像する。好き、っていったら好きってかえしてくれる花。想像だけどうれしくって、少し前向きな気持ちになった。
「うん……そうだったらいいな。ありがとう」
 だけど、それもくだらない気持ちには変わりなくて、それが通じたところでその先は、好きの先にはなにがあるのだろう。また、それでも気持ちは通じなくて、ただの同室だと思われていたら、今度こそ恋心に決別しなくてはいけなくなることが恐ろしかった。
「でも、伝えるのも伝えないのも千佳のことだし、杏里はわからないな。本当に好きっていって、好きって帰ってくるのがいいとはわからないですし。それだけじゃ機械と同じだし、でも杏里は千尋が好きで好きっていってくれるのがうれしいけど、それがいいことなのかはわからないし、一生わかることもないですし。偉そうなことをいったあとだけどわからないよ」
「そうだね……」
 淡潮でおこなわれているすべて恋のと敗れてしまった恋をあわせていくつになるだろう。きっと、生徒全員よりもおおくて、ありふれたもので打ち明けられたものもまだのものもどっちもくだらないものなんだと感じた。私の恋だけが特別でいられる訳がない、私の感情だけが特別だけでいられるなんて、そんなことはないのだろう。浜辺に小さくめる石黒と桑田だってそうだ。杏里と広畑さんも、わたしもみんな同じの、量は違ってもフラットな恋の只中にいるだけで恋は恋でそれ以外のものにはなれないのだろう。おなかがすいたときと同じ、飢えた感情があるだけだ。好きの先にもやっぱり、何もない。飢えた思いがあり続けるだけなんだ。
 広畑さんもこっちにきて、そのうち昼食になった。浮き輪は石黒たちに返して、残りの時間は釣りをしたり磯の魚を採取したりした。温められた空気がもう海水の乾いた肌のうえをすべり羽織ったパーカーの裾を揺らす。その間も正体のつかめない恋心を矯めつ眇めつしながら、恋心の通じた一組の仲の良さを眺めていた。