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2章7節その1。
かえりみちだけどよしのの様子がおかしい。

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7

 よしのちゃんと手をつないだ。そのすこし前には抱き合うような姿勢になりわたしの結んだ髪をほどいた。少し癖はついていたけれどゆきに似ていて、だけど顔を近づけると別人とわかるひとが宗像よしのでわたしの同室で大好きな彼女だった。彼女の髪をほどくのは、これは最後の確認でゆきとちがうよしのちゃんをみるためだった。髪をほどいてしまっても、彼女は彼女のままでいることを、わたしは知り、確信していた。確信の中のわずかな疑念を消してしまう、それと今までの精算をして謝るつもりだったけれど、花ちゃんがきて言葉は飲み込まれ再び体内に戻された。
 練習の後は千佳ちゃんと純ちゃんが片付けを手伝ってくれたので早くおわった。双子たちは純ちゃんと部屋に戻ってゆき、花ちゃんと千佳ちゃんも一緒に帰った。あやな先輩は少しひとりで考えごとをしたいといい、伊藤君はまだ作業があるからと残り、わたしたちふたりだけ、みんなとばらばらに帰ることになった。ふと気づけばよしのと共有していたか細いものが途切れてしまっているみたいで何があったのかと思い出すけれど、わからない、つないだ手は視聴覚室を出たときから同じはずなのに、指の先からつながっていたものがなくなってしまったみたいなのだ。
「よしの?」
 それに、さっきから呆けたような感じでこっちをみてくれない。普段とは違う感じで気になるけれど、わたしのほうはポケットにしまった髪ゴムをつないでいない片方の手でさぐり、あとでシャワーを浴びたらもう一度結んであげたいなと思っていた。島の外では電気がたくさん使えて、クーラーもたくさんあるそうだけど淡潮にはない。だから、夏は着替えのたびにシャワーを浴びる。気づかれないように小さく笑い夏も悪くないかもしれないと思った。
「ああ、うん……どうしたの」
「どうもしないけど、なんかぼんやりしてたから」
「そんなに、してたかな……」
「うん。いまもぼんやりしてる」
「そっか……ああ、そうだ。前、買い出しに行ったとき花火を買ってきたんだよ。選んでるうちに結構な量になってね、今まで内緒にしてたんだけどさ、星見会のあとみんなを呼んでやろうか。萌は、花火ってやったことあるかな」
 なんだか憑き物の落ちたようなふんわりと笑いかけられる。ほどいたさらさらとした髪が揺れて、でも、項には汗にぬれた後れ毛が張りついていた。遠い感じがして、このままよしのちゃんが消えてしまうのではないかという危惧がよぎるけれど彼女は人間で、どこへ行くこともないのだ。だから、大丈夫、消えたりなんかしない。
「花火ってやったことないけど知ってるよ。打ち上げるおっきいやつと手持ちの小さいのがあるんでしょ」
「あんまり知らないんだね。大きいのはわたしたちじゃできないから小さいのしかないよ。でも、きれいだよ。屋上、使えるかな」
「へえ……屋上は夜でも鍵がかかってないから。寄宿舎の外にはでられないけど」
「そうだね。水もあるし、きちんと後片付けすれば大丈夫だよね」
 星見会は陽の暮れる九時からだからまだ時間がある。シャワーを浴びて夕飯をとってゆっくり学校へいけばちょうどいい時間になるはずだ。夏の陽なかなかくれなくて待ち遠しい気分だった。玄関のところで大和田さんとすれ違う。話したことはほとんどないからいまも会釈だけで通り過ぎた。エレベータのとまった寄宿舎の外階段を上り、ああ、とついひと月ほど前のことを思い出し、ひと月もあればずいぶん変わるものなんだなと自分のことだけど自分で驚いた。あのときはまだ、わたしが誰が好きなのか知らなかったのに、いまではこんなに明確に意識できる。よしのちゃんのことだって少しわかるような気がする。よしの先輩のように人のことがわからなくたって、同じ部屋で暮らし、言葉を交わしていればわかるような気がしてくるのだ。かたくなに離さない手は階段を上るにはすこし歩きにくいけれど、そんなのは気にならない。前と同じ四階の踊り場、島の半分の烏帽子の山とその両側に広がる山の前で繰り返す。同じくらいの背丈で髪の触れる距離、背中に回した手が夏の体温ごとよしのを抱きしめる。柔らかな体操着の綿の布地が少ししめって指先に感じられ、指先で握った。
 言葉もなく、ただ、一体であるような気がしている。ほんの短い間でからだは離される。寄宿舎じゃ、いつ人がくるかわからない。同じようなことをしているひとはたくさんいるけれど、わたしとよしのの、この関係を認められることはいやだった。部屋に戻ってからでは遅すぎる、焦燥が衝き動かし意思は溶ける。
「萌?」
「うん……ごめんね」
「いいよ、別に」
 そういって笑う顔はさっきと同じ笑みで見守られているような気がした。物語のうえでしか知らなかった好きの結実がいまで、一瞬のちには壊れてしまいそうな儚い実を守り、守られ続かせようと自分でもよくわからないまま俯き感情をしまいこもうとした。よしのの腕がもう一度伸び、からだがおおわれる。肩のうえに載せた顔がみる景色はまぶたに隠され、同体のように感じられる熱のなか愛おしさは古いものを壊し新しく作り直されようとしている。腕のほどけたあとの彼女の顔は泣き出しそうで、失われたものを回想し、かき集めようとしているようだった。
「わたし、わからない……萌のこと、もう、わからなくなっちゃいそうだよ……みんな、失くしちゃいそうなんだ。好きだったのに、こころのどこを浚っても出てこないんだよ。今まであったものがすっかりなくなっちゃって、つぶれちゃいそうなんだ。なくなった輪郭をなぞることしかできなくて、でも、凹型の空っぽじゃ、わたし、萌のことどうやって好きだったのかわからない。好きだったはずなのに、消えちゃって、きっと、このあいたところにはこれからたくさんのがらくたが詰まってきて、みんなみんな忘れちゃうんだよ。むなしさだって感じられなくなっちゃうんだ……」
 泣き出す顔をみて困惑のなか、立ち尽くしている。つながれていた手は抱きしめたとき離されてしまった。肩からぶら下がる腕は再び彼女は抱くこともできず、つなぐこともできなくなっている。
「ねえ、わからないよ……わたし、よしのがなにをいってるのかわからない。ねえ、失くすってなに。わたしのこと好きだったってほんとなの、それなのに失くしちゃったの」
「うん……もう、わからないんだ。萌のこと、好きだった。好きだったけど、失くなっちゃったんだ……わからなかったけどわかるんだ。あんなに好きだったから、空いた形が主張するんだ。愛おしさのことを、なくなった根源がほかの感情を押しのけようとしていたときのことだけが思い出されて、でも、今は何も持ってない代わりのものが入ってきて、育ってゆくんだ……耐えられないよ、こんなの。みんなみんな、消えちゃえば、消えちゃったことも消えちゃえばよかったのに……」
 階段に力なく腰をおろす彼女をわたしは見下ろす。気持ちを確かめ合うことなくおわってしまった恋が行き場をなくし、わたしの凸型の感情をよしのにあてがうことができたらいいのに。形がなくて空間には溶け出せない感情が育ちすぎて、胸の内側を、肋骨を食い破ってしまいそうなのにどこにもいけない。力なくジャージの袖をつかまれて何もできない。何もわからずかける言葉も見つからず、再び恋を彼女の内側に芽生えさせることもできそうにない。砕けた恋の破片にちくちく傷つけられ、言葉がわだかまる。このよしのにわたしは好きだなんていえない。何もない空っぽの深淵に投げかける言葉なんてないんだ。洞のなかに投げたら消えてしまうのではと身勝手な心配をしている。わかっているのに、つかまれた裾をそのまま、何も与えることはできないまま、わずかなつながりに託そうとしている。