donuthole.org / novels / 学芸会のおわり / 2章_8節-2

2章8節その2。
プールとか2。

一番最初
http://donuthole.org/novel.php?id=6


http://donuthole.org/novel.php?id=33

閲覧数 1897

 廊下に出ると夏休みなのに寄宿舎のなかはがらんとしている。みんな部屋にこもっているか部活か委員会にいっているのだろう。階段を上っているときにだけ結城先輩とすれ違った。萌もプールに行くのだし今日は演劇部も休みなのだろう。私たちの格好を見てプールいいなーといわれただけでほとんど会話もなかった。屋上に出ると日差しが強くすこしめまいがする。中等部のやつらはもうプールにはいっていて松本とあゆはが水を掛けあい、双子はビート板のうえに立とうと奮闘している。ほかにはプールの管理をしている森井先生と国語のTAで蛍組の和田智美しかいなかった。森井先生と和田はつきあっているみたいな噂があるけれど本当なのだろうか。面と向かって訊いたことのあるやつはいないし、本当のところは誰も知らないけど、よく一緒にいるし、国語準備室に入っていくふたりを見たこともあるので噂は本当かもしれないと疑っている。こんな風に想像をたくましくしてひとのことを詮索するなんてどうかしている。ふたりはプールの水を採取し、帰り際に気をつけて遊べよといって去っていった。すぐ海もある環境でプールに入るひとは少なく、貸し切り状態だった。
 パーカーをベンチにかけて準備運動もしないで脚を水に浸す。萌も同じように隣に座って脚をばたつかせている。そういえば、花に好きだといったのも洗濯当番の帰りだった。そのときはまだプールに水が入っていなくて空っぽだったなと思い出す。陽に温められた水はぬるく、これならずっと入っていてもからだは冷えないなと思った。
「千佳ちゃん、本当に大丈夫」
「うん……大丈夫。悲しくないんだけど、あれからさっきみたいに時々気がついたら泣いてたりするんだ。本当に情けないね」
「ううん。わたしだって同じだよ。どうしたらいいのかわからないの。夜とか、先によしのが眠ったあととかね、これからずっとわたしってひとりぽっちなのかなって思っちゃって、そうしたらなんか、何もかもがわからなくなっちゃって、ほんと、どうかしてるよね」
 脚に肘をついて双子たちを眺めている。双子と松本は紺色の、うちの学校は寄宿舎の屋上にしかプールがなく水泳の授業はないのだから好きなものを着ればいいのだけど指定の水着を着ている。あゆははひとつ年上で少し大人びているのか、セパレートの明るい色のものを着ている。私も、去年まではほとんど着ることはなかったけれど指定のものだったと思い出しながら、双子たちと同じものを着た萌を見ている。なに、という風に少し笑いながら大きい黒い瞳でじっと見られる。
「萌は強いね。人のいる前で取り乱したりしないし。さっきはごめんね」
「いいよ。だって、同じでしょ」
「まあ、そうだけどさ……そういえば、今日はからだいいの?」
「なんか捨て鉢な気分なんだ。もう、自分のからだのこととかどうでもいいよ」
 紺色のワンピースの水着の肩紐や脚の付け根からは鱗や蔓が覗いている。こうやって見るときれいだけど、本人は気にしているのだろう。詳しいことは知らないけれど、高田先輩が亡くなった日のこともあるのだし。
「そっか……」
 言葉をきってプールに飛び込む。頭の先までつかって、水色のなかで目をひらいた。ぼんやりとした視界で、中等部たちの脚がぼやけてみえた。目がいたくてすぐにつむってしまうけれど息が苦しくなるまで、ずっと潜っていた。こうやってふわふわした水の中にいられたらいいのに、眠りみたいにからだのまわりを薄青のもやがつつんでいてくれたら、辛いことも何もかもを忘れられる。けど、プールの水が青く見えるのは壁面が水色に塗られているからだって知っている。水は青くなんてなくて、透明なんだ。こんなこと知りたくなかったのにな、知らないまま、身勝手に好きなことだけ思っていられたらいいのに水のことも、花のことだって……。
「ぷは……」
 水に濡れた髪をかき上げて、いきなりどうしたのという目で見る萌に弁明する。
「ほら、水に潜ったら涙のあとも隠せるし、目が赤いのだって、塩素のせいだからさ……」
「あはは。何それ」
「いーの。萌も泳ごうよ」
「でも、わたし泳げないよ」
「泳ぎかたなんて教えてあげるからさ。広畑さんほど上手じゃないけど、私だって結構泳げるんだよ」
 なんて感傷的なんだろう。萌に泳ぎかたをおしえて、去年のことを反芻したいだけなんだ。まだ、好きって言葉を与えられるまえ、ふわふわとした気持ちのままでいられた幸福な去年に戻りたいだけなんだ。いや、これでいいんだ。表面だけでも繕って、辛いことなんて忘れた風にすごしたい。表面を繕うだけなら、今なら涙のあとも目の赤さだって隠せる。萌の手をひいてプールに引っ張る。大きな水柱がたち、双子たちが振り返った。
「もーやめてよぉ」
「髪の毛おばけみたいになってるよ」
「千佳ちゃんのせいでしょ! びっくりしたんだから」
「ごめんって。でも、楽しいな、こうやって遊んでたらさ、忘れられちゃいそうな気がする」
「忘れたいの?」
「うーん、どうかな。今でも花のことは好きだけど、忘れちゃったほうが気楽になれるかもしれないし」
「そっか、わたしはまだ忘れたくないかな。よしのと約束したんだ。また好きになってくれるって。そんなことないってわかってるのにまだ期待してるの」
「そうなんだ」
 約束したのに、破るだなんて宗像はひどいやつなんだなって勝手なことを思っている。その約束のなかに何があったのか私には知らないんだから勝手なことだ。
「萌はどれくらい泳げるの」
「うーん。顔を水にはつけられるけど、犬かきしかできないよ。水が怖いとかはないんだけど、泳いだことほとんどないから」
「じゃあ、平泳ぎとかやってみる」
「うん」
 とりあえず手を引きながら脚の動かしかたを教えてみる。まっすぐに伸びる腕とつないだ手のひらを握り、このまま萌を好きになったら、楽かなと不実をなことを考えている。萌ももし、同じことを思っていたらそれは不実でなくなるだろうか。好きあっていたら、帳消しにできるだろうか思いを巡らせる。顔を上げながらこっちを見て泳ぐ萌の顔は楽しそうで、つまり笑顔で、こういう顔をみて、また、自分が萌を笑顔にさせているんだなと思うと現金なことにすこし好きになってしまいそうな、好きになってもいいやというような気がしてくる。きらめく水のしぶきと、水色の水の中でたなびく蔓からは時々葉がおちて、水面に浮かぶ。
「顔、つけないの」
「えーだって息継ぎの仕方わからないし」
「簡単だよ。顔つけて、息苦しくなったらあげてって繰り返すだけだよ」
「なんかむずかしい……」
「簡単だってば。ちょっとやってみようよ」
 そういえば、花も水は怖くないけど息継ぎは苦手そうにしていた。自分は見よう見まねで泳いでみたら最初からそれっぽくできたからあまり息継ぎに苦手意識はないけど泳げないとやっぱり難しいのかなと思う。萌は意を決したように息を大きく吸い込み、顔をつける。ぴったりと耳まで潜って、息苦しくなったら顔をあげて大きく息を吸う。たどたどしい姿に苦笑しながら壁際まできたら腕を引っ張って方向転換する。なんか、萌の手って柔らかいし、鱗のところもそうなのかなって手を伸ばして確かめてみたくなるけれど怒られそうだからできなかった。
「息継ぎ、上手?」
「うーん。もうちょっとリズムよくっていうか脚の動きと交互にやったらいいよ。腕つかんでたら難しいかな」
「まだ手離しちゃだめだよ……?」
「わかってるって」
 そのまま十五メートル正方形の周りを二周しそろそろいいかなと手を離すとそのまま沈んでいった。
「もー! 手はなさないっていったのに」
「ごめんって」
 本当は、このままずっと手をつないでいたら本当に好きになってしまいそうな気がしていたからなんだ、とはいえない。まぶしい日差しに黒い髪はもう乾きかけていて手を持っていくと束になったものがほどけた。
「萌って肌白いけどあとで痛くならないの」
「痛くなるけど、部屋にいても暑いだけだし。それに、一度ちゃんと焼けたら痛くならないしね」
「そっか」
 練習は休憩になって、縁の段になったところに座る。今日みたいに暑いと本当に気持ちいいなと思いながらぼんやりとしてしまう。双子たちも泳ぎに疲れたのか隣にきて座っていた。