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2章8節その3。
恋人同士。

一番最初
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「千佳元気でたー?」「千佳、今日朝から元気なかったよね!」
「まあね。でも、体動かしてたらすこし元気になってきたよ」
「お姉さんたちはね、失恋しちゃったんですよ」
 萌が少し遠い目をしながらおどけた口調でいった。
「へえ……失恋」
 少し興味のある風にあゆはが身を乗り出す。
「あゆはと松本は恋とかしたことあるの」
「あたしはないですよ」
「わたしもないですねー」
「ねぇ! 紅葉には訊かないの!!」「青葉にもー!」
「だって、おまえたちが恋って……ごめんごめん」
 ふくれた双子は可愛らしく、でもこの可愛さは萌に感じたものとはやっぱり違うし、こういう天真爛漫な風にしていられたらいいなと思う。
「でも、あゆはは告白されたりしないの。それで付きあってみたりさ」
「うーん。わたしはまだ恋とかわからないですし、自分のことで手一杯ですよ。そういう風なこといわれたことはありますけど、やっぱりどうしていいのかわからなくなっちゃいますし。それでお付きあいするとかっていうのは何となく悪い気がしますし」
「そっか。そういえば、泳ぐとき耳の中に水って入らないの」
「動かせるんで泳ぐときにはたたむんですよ」
 黒い髪のうえで黒い耳が器用にぱたぱたと頭の形に添うようにたたまれた。
「へえ、すごいんだね」
「自慢の耳です」
「ねー千佳はどうして失恋しちゃったの」「ねーどうしてー」
「もう……そんなこと訊いちゃだめですよ」
「まあね。普通にほかに好きな人がいるっていわれちゃったんだ。なんか、もうずっと遠いことみたいだよ。今でも好きだけどどんな風に好きだったのか、どう感じていたのか思い出せなくなっちゃったし」
「えー。思い出せないってなにー」「紅葉、思い出せないってわからなーい」
「まあ、おまえたちはそうだよね」
 双子は一度起きたことは忘れないそうだし、記憶を言葉だけでなく感覚を伴って思い出せるらしい。時々、中畑のつくったアイスがおいしかっただとか、暑い日には冬の寒さを思い出して暑くないようにしてるとかっていっている。想像はできるけれど、よくわからない能力だった。
「私たちはそうなんだよ。起きたことは忘れちゃうし、言葉のうえでしか思い出せない。頭のなかには言葉しか詰まっていなくて、ほかのものは見当たらないんだ」
「へえー」「よくわからないねー。ねっ、青葉」「うん。わからないわからない!」「でも、千佳は萌のこと好きなんだよね」「だったら失恋してないじゃんねー」
「あほ。勝手に人の心を読むな。萌も、そんなことないから気にしないで」
 感覚の鋭いふたりは、テレパスではないけど仕草から何を考えているのか時々当ててくることがある。そのことについて特に自覚している訳ではないので突飛なことをいわれて困惑するひともいる。松本は同室だし、大変じゃないだろうか。でも、わざわざ三人部屋で同じ部屋にいるくらいなのだから気にしていないのだろう。
「紅葉も青葉も思ってることをそんなにいっちゃだめだよ」
「ねえ、千佳ちゃん、紅葉と青葉の……本当?」
「思ってないってば……」
 恥ずかしさにまた水に潜る。こんなことしたら本当に好きみたいだ。でも、本当に好きなのだろうか。まだ好きなのかわからないし、好きになるのはいやだ。萌は友達で、振られたからって代替として恋をするだなんてどうかしている。顔をあげてクロールで泳ぐ。十五メートルの間をなんどもいったりきたりし、顔を上げたときにちらりと見えるプールサイドの五人は何を話しているのかわからないけど萌のほうは恥ずかしそうにしている。もう、そんな話するなよ。それに、萌だってそんな顔しないで欲しい。空回りという感じで、好きだなんて思っていない。振り切るようにからだを動かし、こうしていればそのうち元気になって恋をしようだなんて思わなくなるはずなのに双子の言葉が、言葉にされてしまったから意識から離れなくてなんでそんな話するんだよと頭の中で叫んでいた。
 その後は双子の言葉なんて忘れたみたいにプールサイドにあったビーチボールを使って遊んだりした。途中に柳原や新保、森井先生たちもきたけれどほとんど貸しきりで、遊び尽くしたあとは日が傾きからだも冷えてきたからと上がった。中等部は目を洗ってからだを拭くと寄宿舎に戻っていった。今はわたしと萌しかいなくなり寂しいプールで目をあらっている。顔を水につけるのは怖くないけれど、この目を洗う蛇口は苦手みたいで、わたしも同じだった。
「ちょっと風でてきたねー」
「風邪ひかないうちに戻ろうか」
「そうだね」
 午後からずっと空腹も忘れて一日中遊んでいると疲れきり、ベンチに座るとそのまま眠りたくなってしまう。
「なんか寝そう」
「ほんとに風邪ひいちゃうよ」
「でも、ベンチ暖かいしさ、もう疲れたよ……」
「もー……。じゃあ拭いてあげるからじっとしててね」
 そういってタオルをもった萌が近づいてくる。距離近いな、と思いながら決して嫌ではないので甘んじている。優しい手つきがくすぐったい。
「反対側むいて」
「うん……ありがと。萌、結構焼けたね」
「んー。シャワー浴びるとき大変だね。千佳はあんまり焼けないんだね」
「体質だからねー」
 蝉の声もだいぶ静かになり、夏の夕方という雰囲気だ。風が強くなってきて肌寒さを覚える。
「はい。起きて。髪拭くから」
「うん……」
 なんとなくいいなりになっているけど、大分おかしな状況だ。
「そういえば、花の髪もこうやって拭いたな……」
「そうだね……わたしもよしのの髪拭いたり、梳かしたりしてた……」
 ああ、なんかまた泣き出しそうだ。泣いたら、また、萌は慰めてくれるだろうか。そんなのいけないってわかっているけど甘えてしまいたい。ちらちらと視界をよぎる手をみながら、遠くを眺めていた。
「ねえ、紅葉と青葉のいってたことって本当?」
「えっ……なんでそんなこと訊くの」
「だって、気になるし」
「気になるって……私は宗像の代わりにはなれないってば」
「そんなのわかってるよ。でも、気になるんだもん。もしかして、そうだったらいいなって少しだけ思うし」
「そうだったらいいなって……まあ、好きかもしれないけど……」
 なんか、私も萌も疲れきって口が軽くなっている。何をいっているんだと思いながら言葉がするすると口をついていた。花のときにもそうだったし、本当に、どうかしている。
「よかった……わたしも、千佳ちゃんのこと好きかも。なんかね、さっき泳ぎかた教えてくれてたときとか、どきどきしたんだ。すごく、ずっと手離されたくないなって思って」
「うん……同じだね」
「ねえ、わたしたち、付きあわない」
「それ、やっぱり宗像の代わりでしょ。もし付きあったとしても私だって花の代わりみたいに思っちゃうし。そんなのやだよ」
「でも好きあってるんでしょ。だったらいいよね。わたし、千佳ちゃんのこと好きだよ」
「やめてよ……」
 この、胸の苦しさから一刻も早く解放されたい。萌に寄りかかったら、きっと、忘れられる。打算に満ちた恋だ。このことを知ったら、花はなんて思うのだろう。何も思わないだろうか。だって、私はただの同室の友達なんだし。だったら、萌のことを好きになってもいいはずだ。私がどうしようと私の勝手なんだし……なんだか当てつけのようだけど、気がつけば気持ちは傾いている。
「でも……いいかもね。私たちが付きあって、花たちが嫉妬するほど仲良くなったら、ちょっと愉快かも。もしかしたら、私のことまたみてくれるかもしれないし」
 もしかしたらの意味がわからないけれど、萌はなにもいわなかった。それに、嫉妬だってしないだろう。
「じゃあ、いまからわたしと千佳ちゃんは恋人同士ね。よしのが、花ちゃんが別れるまで」
「うん。恋人同士」
 口に出した言葉をもういちど頭の中で繰り返し、手に取ってみる。恋人同士、なんだか甘い響きでそんなに悪くないような気もする。たぶん、流されているだけだけど、それで辛さを忘れてしまえるならそれでいいんだ。私と萌は恋人同士。
「はい。拭きおわったよ」
「ん。ありがと」
「手、つなごうか」はにかむ萌がいう。「うん」その笑顔を可愛らしいものだと思った。
 パーカーを羽織って寄宿舎のなかへ戻ってゆくときフェンス越しに、校舎のほうからあるいてくる花と宗像が見えた。そうだ、わたしたちはふたりが別れるまでの恋人同士、期間限定の関係だ。だったら、そんなに悪いことではないだろう。きっと。