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2章9節その1。
夜中に学芸会の練習。

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9

 夏休みのあいだ消灯は二十四時になる。見回りは時折あるものの、起きているのを見つかったところで特に何があるわけでもない。それでも電気を落としてひっそりとした寄宿舎は暗く、わたしたちの部屋も暗く、向かいの棟の窓もほとんど明かりはついていない。窓側においた枕に頭をおろし、横を向くと二棟の屋上の電灯が青白く見える。萌のほうは電気もつけずにシャワーを浴びている。じっと暗い、沼の底みたいななかを開けっ放しの窓から風がそよいでくる寝苦しい夜で、寝転がりうえを向いた額の髪を風がわってゆく。
 八月の半ばで、夏休みがおわるまでまだ一ヶ月以上があり、学芸会まではほとんど一ヶ月だと思うと何となく眠れなくって、タオルケットを顔まで持ち上げるけれど目はさえたまま、こっちも実家と同じで夏でも蝉が鳴いているんだなと熱帯夜の寝苦しさとかとりとめのないことばかり考えている。本当に、わたしはどうしたかったのだろう。つい数週間前まであったはずの感情がなくなったことの違和感が薄れはじめ、萌はただの同室でそれに恋心を覚えるなんてどうかしていたと思い始めている。代わりに強くなった花さんへの感情が焼きついてはなれない、恋をしているのだなと実感し始めている。頭の中でふたつの感情を手にとり、指先でいじってみると萌のほうはざらざらふわふわとしていて、花さんのほうはつるつるで硬いような感じがする。シャワーの戸が開いて萌が戻ってきた。何となく顔をあわせづらくて、食事のときも花さんと一緒のことが多く、演劇部と朝と夜しかほとんど一緒にいなくなった。それでも十分だけれど、夏休み前の授業中もずっと一緒にいたときとは学校にいるときと夕方も一緒にいた。一緒にいて、何をしていたのかといえばたいしたことはしていなくて、ただ何となく一緒にいるだけ、互いに好きなことをしたり時々話をしているくらいだったのに、それも辛くて逃げるように個室をでて花さんと一緒にいて、人のいない海に遊びに行くことが多い。彼女は肌が弱く日焼け止めをあげたりして代わりにわたしの色が少し黒くなった。そういった変化を時間による関係の変化と結びつけてうれしがっている節があり、幼いことをしているなと気づかされることがある。そうしたとき花さんはそれでいいんだよ、花もうれしいよと声に出さずに伝えてくる。わたしはただの人間で、彼女はちがう。思考の根元をにぎられていて、そのことに安心を覚えている、わたしは、花さんに寄りかかってもいいんだなって思いすがってしまう。夏休みは演劇部の練習以外学校へ行くことがなく、この関係をとがめる人のいないままふたりでずっとすごしていると世界はふたりだけのような気がしてきて、突飛な思考でも肯定されるがままに受け入れてしまう。きっとおかしいんだな、異常なんだなってアラートに気づけなくなり、どんどん鈍くなっていっている。ひとから聞いた話だと萌は千佳と付きあうようになったらしい。経緯まではきいていないけれど予想はつく。悪いことをしたと思うけれどわたしは花さんが好きなんだ。好きって気持ちだけがほかの感情から切り離された特別なものだと思わされている節があって、好きだから、他の人にひどいことをしてもいい、萌を傷つけても許してもらえると思っているような気がする。きっと、このことに疑問を覚えなくなったときが自分がどうにかなったときなんだといい聞かせ、嫌悪感を抱く。だけど、萌と千佳が付きあっていることには安心してしまっている。そのうちに、萌がわたしを恨まなくなるだろう、古い恋は忘れられてしまうだろうって、好きになるといった約束も、髪を縛ることも、キスもみんななかったことに、目を背けていてもらえるだろうって期待しているんだ。
「よしの。まだ、起きてる」
「ああ、うん……」
 二段ベッドのはしごにのぼった萌の顔が見えた。まだ濡れた髪で、だけどわたしは彼女の髪を乾かしてあげることはもうできないのだ。あのとき感じていた特別な感じ、凪いだ気持ちはもうなくなってしまって、忘れたというよりも花さんとの関係に更新されて取り出せないほど古い状態のものになっている。
「もう、寝ちゃう」
「ううん。今日は眠れないんだ」
 薄明かりのなか見下ろす表情はすこしこわばっていてその不安を取り除けられたらいいなとおこがましいことを思った。
「そっか……ねえ、一緒に屋上いこうよ」
「どうしたの急に」
「ちょっと、学芸会の練習とかしたかったから」
「……わかった」
「それ、着たんだね」
 ベッドからでて下におりると萌は昔選んでやったワンピースを着ていた。
「うん。涼しいよ。腕でちゃうのは恥ずかしいけど、夜だしね。誰にもみられないから」
 どうして、そんなことするのって理不尽そうな言葉が口をつきそうになる。そんなの萌の勝手だ。何を着たっていいし、服装なんて好きにすればいいのに、いやだな、というか、こんなの見せられたくなかったって思ってしまう。選んだときは、曖昧な状態であったけれど好きだったはずで、きっと似合うだろうもっと好きになるかもしれないって楽しんでいた節があった。でもそれをなくしてしまった途端にいやになる。わたしのみたくないところをみたくないだけなんだ。こんな当てつけみたいなことをしないでくれ、おまえだってわかっているはずだろうって問い詰めたくなる。
「似合ってるよ。可愛い」
「へへ……ありがと」
 台本だけもって、消灯時間をすぎているので音を立てずに部屋を出る。非常灯しかついていない廊下は暗いけど、窓からさす月明かりがタイル張りの床を光らせている。今日は見回りの日なのだろう風のびょうびょうと吹く外階段にでるとあやなさんがいて失敗したなと思う。
「こんな夜中にどうしたの」
「なかなか寝付けなくて。ちょっと、劇の練習をしようと思って」
「ふぅん、関心だね。でもあんまり遅くならないようにしてね。みなかったことにしてあげるからさ。ああ、あと、千佳も階長だから見回りしてるからね。見つからないようにね」
「はーい」
 あやなさんがいくとわたしのかげに隠れていた萌が出てくる。やっぱり腕が出ていると恥ずかしいのだろう。そんなことなら着てこなければよかったのにって思えるのだからわたしはまだ萌のことを忘れていない、好きはまだ取り戻せるところにいるんだって安心する。こんなの、花さんにも萌にも不実だけれど、怖くて仕方がないのだ。花さんにもたれかかれることに安心し、同時に好きにされてしまうことに恐怖している。いま、萌に好きだといったらどうなるだろう。花さんはもう眠ってくれているだろうか。そうだとしても、そんなことをいえないのはわかっている。自分を傷つけたくて仕方がないんだ。好きだといって、怒られて、正常な思考をもつための縁ごと自分を踏みつぶされてしまいたい。そうしたら自分はかわいそうって物語に当てはめて安心できる。
 屋上に出ると今まで気づかなかったけれど今日はほとんど満月でプールの水が反射していて、当たり前だけど誰もいなくて静かでいる。これだけ静かだと大声を出したときに寄宿舎じゅうに聞こえてしまうんじゃないかと心配してしまう。萌はさっさとわたしを追い越し、奥のほうへ歩いてゆく。海のほうもよく見えて、波立つ紺色が光っている。海のない県に生まれて、夜の海なんてほとんどみたことがなかったからみるたびにちょっとすごいなと驚いてしまう。