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3章2節その1。
学芸会本番。

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2

 わたしは、宗像よしの。
 それ以外のことはもう、ほとんど、忘れた。握った手の感覚を知っている。
 こんなことをするのは、わたしの手とつながれるのは花さんしかいない。
 花さん、恋人で、好きな人。
「緊張してる」
「ううん」
 緊張なんてできない。空っぽで、思うことなんてない。感覚だけがある。握る手の体温を知っている、幕の合間から見える、パイプ椅子を並べたところに座る人々が見える。過ぎ去り、忘れてしまう。
 みんな、目のまえを通りすぎていって、目をそらしたら消えてしまう。
 手をつなぎ続けていないと、花さんのことまで忘れてしまうような気がするのは錯覚、現実感をもてるのは彼女のことだけだ。
 雲霞のごとく捉えることができない。
 薄暗いなかをまだ夏の残りが蒸している。軽く髪のかかる首筋が暑苦しい。
 結んでもらえたら涼しいだろうか。誰に?
 今より昔のことはない。一個の視点になり、見えるものしか知らないんだ。わかりようもない。
 握った手のひらが熱っぽい。
 また、余計なことを考えようとしているんだ。
「また、余計なこと考えてるんだね」
「花さん、好き」
「花もだよぉ。ずっと、好き」
 最奥に閉じ込められた、暗い淵から叫ぶ声がきこえてくる気がする。
 みたくないんだそんなもの。もう、苦しみなんていらない。
「そうだよ。よしののの不安、みんな引き受けてあげる。花、つよいんだもん。ふたり分をひとつの頭にのせるくらい簡単」
 結索から溶けてゆく。
 考えることなんてなくて、花さんにゆだねている。
 いいのかな。
 今日は暑くて仕方がない気がする。もう九月なのに蝉が鳴いている。
 座り込んで、風に持ち上げられた首筋に風が入る。
 今日は高田ゆきなんだから、結べない。
 短い髪を結うことを彼女はしただろうか。
 こころがないっていうのはこんな感じか、それとももっと自失のはてにいるのか。
 知りようもない。
 制服の裾を握ってみる。まえにいたところよりも子供っぽいだろうか。
 どんな服を着ていたのだっけ。
 ずっと昔だ。
 いま、大切なのは花さんだけ、彼女が不安を引き受けてくれる。苦しいのは、嫌だ。
「もっと、楽になりたい」
 背中に抱きつかれた耳元の声。
「いいんだよ。全部手放して、花、ずっと覚えてるよぉ。もう、よしのののことみんな知ってるもん。ずっと一緒。みんな人格も何もかもみんな知ってて、同じ脳にふたりを同居させられるならいいよねぇ。一緒にいなくても一緒だもん。気がつかなかったなぁ、予想外のことはもう起きないのかな? まだ、不安かな。よしののがちゃんと隣にいるって確認できないと、言葉だけじゃ満足できないかなぁ。頭のなかで飼い殺しにして、でも、思考の言葉だけじゃ満足できないのかなぁ。花、みんな知ってて、次に何をするって完璧に予想できたら隣にいなくても、ずっと一緒と同じこと、予想外のことがなくなっちゃえば、肉体がなくても一緒なんだって思うんだぁ……。予想と現実の差が埋まったらぁ、花の頭のなかが現実だもん。ねぇ、よしのの? まだ、楽しませてくれるよねぇ。もっと、揺らいで欲しいなぁ。まだ、あきらめたくないよぅ……」
 首筋に押しつけられる唇の感触がある。
 振り返ると、萌がいる。
 同室の子で、花さんの次に一緒にいる子。
 そんな顔しないでよ。
 わたし、いま、花さんと一緒にいるんだよ。
 慟哭の響く洞を見下ろしている。
 現実の縁はもう、そこにしかない。
 奥底の怪物をたおしたら、みんな、花さんにゆだねていいかな。
 さっき、なんていってたんだっけ。
 頭、痛いな。
「花ちゃん、やめてよ。そんなのみたくないよ」
「ええー。よしのの可愛いのにぃ」
「だって、わたしのまえでそんなことしないでよ」
「でもちぃがいるでしょお? ちぃも可愛いよ。花、知ってるもん。よしののじゃなくてもいいじゃん。めぐみんはちぃと同じことできるでしょ」
 やめて欲しい。千佳がどうしたっていうんだ。萌のそんな顔みたくない。
 頭を撫でる手がやさしい。首筋につけられた唇が柔らかい。しめっていて、ゆっくりと動く。耳を噛まれたら痛いけれど、花さんはそれが好きだから、そうしてくれるとわたしも嬉しい。
 恵ちゃんが舞台にいる。ビオラを構えていて凛々しい。あんまり知らないけど、格好いいな。サマーセーターを着ていて暑くないだろうか。
 噛まれた耳が痛い。愛おしい。花さんが好き、だけど、萌にこうしているところをみられるのは嫌だ。
「もう、やだよお……」
 泣いている。舞台では演奏が始まっている。
「花にそんなこといわれたってぇ……ちぃじゃだめなのぉ? ふたりともの愛がないとだめなのぉ? 花、わかんなぁい」
「わたしもわかんないよ。千佳ちゃんのこともよしのちゃんのこともどっちも好き」
 萌はわたしが好き。わたしは花さんが好きで、千佳はたぶん萌が好き。
 好きって気持ちいいよね。甘えても許してくれるから。
 もっと、甘えたい。わたしのこと好きにされちゃいたい。みんなゆだねたい。だよね。気持ちいいこと、好きだもんね。わたし。
 わたし、好きなのかな。
 何を。誰を。
 花さんが好きなんだった。これだけは忘れちゃだめなんだった。
 何度確認しても忘れそうになる。
「でもぉ、よしののは花のだもんねぇ。よしのの、花がいないとだめなんだもん。えへへ。可愛いぃなあああ。ずっと花のものだからあげないよぉ」
 宗像よしのは船見花さんが好き。花さんも好きでいてくれて嬉しい。
 それだけでいいのに、余計なことをいうのは誰。
 わたしか。
 叫んでいるのはわたしなんだろうか。
「だからぁ、余計なこと考えないのぉ。ねっ、花にみんな任せてくれていいんだよぅ」
「うん……花さんが好きだよ。もっと、甘えていい」
「うん! いつでもいいよぉ。いつでも好きなだけ甘えさせてあげるぅ」
「うれしい」
「よしのちゃんもやめてよお……」
 弦楽器の音が聞こえていた気がするのに、途切れている。恵ちゃんがもどってくる。入れ替わった舞台には中里さんが立っている。ベースをさげて、後ろには高橋っていう人がいて、ドラムのまえに座っている。向こうの袖には佐久間さんがいる。腕には子供をかかえている。
 たくさんの人がいて混乱する。でも、どんなときだって花さんがすくってくれる。
 メカトロニクス部のふたりがいて、スライドに映されていることはよくわからない。
 テレパスの応用だって。わたしには関係ないか。
 演劇部の出番がきて、高田ゆきを演じる。
 もやに包まれているみたいな心地なのに言葉はするする出てくるんだね。
 萌が目の前に立っている。田村早紀だっけ。そうだ。わたしは田村早紀が好きなんだった。
「わたし、ゆき、もうだめなのかなあ……」
「……わたしゆきがいなくなったらどうすればいいの……」
 意識が飛び飛びだ。もう、だめなのだっけ。高田ゆき、消えちゃうんだっけ。
「……ゆきだって、知ってるもんそんなこと。ゆき、知ってるよ。みんなみんな変わっていっちゃうんでしょ。大丈夫だよ。うん。ゆきはだいじょぶ。だってもうすぐ何も考えられなくなっちゃうから、そうしたら、ゆきの意識はみんなの言葉に閉じ込められて、自分じゃ考えられなくなっちゃうんだもん。ゆきのことわすれたって、ゆきはわからないから、だいじょぶだよ……。最後まで、忘れるなんていわないで。ゆきを安心させてよ……」
 照明がまぶしい。真夜中の屋上にスポットライトがあたっている。
 花さん、みていてくれてるかな。