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4章1節その5。
千佳と萌が帰ってくる。

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 時計は四時半をまわっていて、彼女の意識はもう学校を離れているようだ。学芸会が終わっていて活動をほとんどしていない演劇部なので、となりには萌もいる。彼女らも学芸会が終わってから関係が変わってきているみたいで私やよしのの代わりとして、友情的な関係になっている。
 まだ電気のつく時間ではないので廊下は薄暗く、雨の伝う窓がらすからのかすかな光しかない。手もつながず、隣りあった距離で階段を下りてゆく。二階の踊り場で細野と佐久間とすれ違った以外人はいなかった。談話室のミラーボールがわずかな光にきらめいている。もう千佳たちは戻ってくるみたいでよしのをおいて食堂に逃げこんだ。今週は石黒たちが食事当番で、初等部の坂川や桑野と一緒に調理台に立っている。邪魔にならないように電気ケトルのお湯でコーヒーをつくっていると千佳たちが会話しているの聞こえてきた。萌は不意打ちのように談話室にいたよしのに驚き、千佳は萌とよしのをあわせるのが嫌だといっている。萌はよしののことをあきらめていない、千佳は私が振り向くことはないと気づき、萌を好きになった。私の不能を見せつけられているようで嫌だ。でも、戻らない訳にはいかない、ふたつのマグカップとガムシロップをもって食堂を出てゆく。声がうるさい。細野が佐久間へ思っていること、坂川が石黒にどんなことを感じているのか。知りたくないことがあふれてくる。
「あれぇ。ちぃもめぐみんもはやぁあい。もう戻ってきたんだねぇー」
「もう学校終わる時間だよ。花、何してたの」
「今日はなんか学校いく気分じゃなかったのぉ」
「ちゃんとこないとだめだよ。私の手前だってあるんだから……宗像も連れ出して……」
「えへへ。ごめんねぇ。明日はちゃんといくよぉ」
「どうだか……」
 みんな知ってる。千佳と萌が私とよしののいないことにどんな心配をしていたか。何をしているのか想像していたこと、その不安だって、みんな知っている。だけど私はテレパスをもっていることを悟られたくない。だから、精一杯ばかなふりをしなくてはいけない。重たくて、つぶれてしまいそうで、よしのを最初好きになろう、本心をさらしてやろうと思っていたことも果たされない。何もかも中途半端に終わってしまった。これから先、何をよりどころに生活していけばいいのか。そんなもの元々なかった。よしのがくるまえはずっとそうしてきたはずなのに、甘えることに慣れてしまった。戻れるのだろうか。こんな感情、ひと月もしたら元通りになるだろう、だから大丈夫だって信じ込ませようとするけれど辛く、苦しい気持ちが頭の上でわだかまっている。これだって、嘘だろう。その苦しさだって、過ぎ去ってしまえば二度と思い起こされることはないのだ。
「ちぃのいうことはちゃんと守るもん。花、いつもそうだよぉ」
「……そうだね」
「よしのちゃん、気分悪いの」
「少し、悪いかもしれない」
「部屋、戻ろうか」
「うん。コーヒー飲んだらいくよ」
 シロップの蓋をあけてコーヒーにいれる。私はなにもいれないのでそのまま口をつける。隣に千佳が座ってきた。萌と離れることをいやがっている。萌の思いがよしのに戻ってゆくことを不安に思っているんだ。
「ちぃもどうしたの。疲れてるのぉ?」
「うん……少しね。早く冬休みがきたらいいのに」
 千佳は正直だ。厳しそうな顔をしているのに本当は素直で正直で、だけど、まじめぶってるから本当の面を誰かに見せるのはわたしか萌しかいない。
「でも、冬は寒いよぉ? 冬って、なんだか死んじゃいそう。寒くって泣きそうになってぇ……気がついたら死んじゃってるかも。ってなるんだぁ」
「死にはしないよ。風邪ひいても看病してあげるから」
「ちぃはやさしいなぁ……」
「わたし、もう戻りますね」
「じゃあねぇよしのの。またあしたぁ」
 談話室にふたり取り残され、私だけがコーヒーを飲んでいるのも悪いから淹れてくるねというと断られた。夏休みまえ、外階段での告白、彼女のはじけそうな気持ちを知っていたけれど私はそれを無視した。そのことに心苦しさはなかった。好き、なんてものはありふれていて、果たされなかったものも同じくらいありふれているしその後の苦しみだってそうだ。そのときはまだ、よしののことは好きだったけれど今ほど入れ込んではいなかった。今は千佳の苦しみを近い形でイメージできるのに現実感はなく、そのうちになくなるもの、過ぎ去ってゆくもののひとつとしか思えない。あやなのいうとおり、感情なんてくだらなくてありふれていて、固有性はまったくない。自分の感情だから大事なのだろう。誰にも知られることのない脳に守られたただひとつの恋はもう終わろうとしている。外階段を上るよしのと萌の声が聞こえる。意識を取り戻し、萌のことを眺める、萌は再び繰り返そうとしている。感情は何度でも形の少しずつ違うものが繰り返されている。二度と同じものはないけれど、量的なものでほかと際だった差はない。階段の影や扉の内側で同じことが何度でもあり、昼間のことだって同じだ。ただ、透視できるかそうでないかの違いしかない。私の恋だって、ほかと際だって違うことはないだろう。誰も実態を知らないかどうかの差しかない。
「ちぃはあんまり風邪ひかないよねぇ」
「うん。つよいから」
「ちぃはつよいのかぁ……いいなぁ」
 私のことが好きで、なし崩しに萌のことを好きになった。嘘の関係は本当になり、今では私への愛も失われ友情になった。忘れられることが強さだろうか。言葉の上だけでしかない記憶を無効にして、想起される何もかもを切り捨てた果てに何があるのかなんてわかりようもない。否応なしに感じてしまうけれどその実は今にしかない、過去を懐かしむ言葉は言葉でしかなくなっている。細部は失われ、のっぺらぼうの上滑りするだけの感情だ。それすらを取り戻せなくなることが強さだろうか。今だけを見て、振り返らないことが。
「花もつよくなりたいなあ……」
「つよくならなくても守ってあげるから」
「やさしいねえ……でも、ひとりでふたりは守れないよぉ……ちぃにはちぃがいるし、めぐみんがいるんだもん……」
「まあ、そうだね……」
 マグカップのなかは空になり、手のひらでもてあそんでいた。
「花たちももどろっか」