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4章2節その2。
あゆはとあやな、双子とか千佳とか花とか。

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「からだの中にいることですか。わたしは先輩みたいにテレパスがある訳じゃないですし、でも、そうですね……ときどき、淡潮からもからだからも出て行くことはできなくて、ずっとそうなんだなって思うとほんの時々ですけど窮屈な気になるかもしれないです。でも、それでちょうどいいんですよ。わたしってさっきみたいに無神経なこともいっちゃいますし、それなのにからだの外に出て行きたいなんて望みすぎですよ。自分のからだだけがあればいいんです」
「松代はしっかりしてるんだね」
「ぜんぜんですよ。自分のことも扱いかねてるんですから。分をわきまえたいって思うだけです」
「それがしっかりしてるってことだよ。あたしは、そんなこともできないんですから」
 外履きのローファーを足下におとして片足を隠すように突っ込む。
「足、きれいなんですね。小さくて、可愛らしいです」
「やめてよ恥ずかしい。足が小さくていいことなんてないよ。それだけ地面をつかむ力が弱いんだ。文明のうちにある貧弱な足だ」
「いいじゃないですか。わたしたち、ずっと、淡潮から出て行けないんですよ。出て行けたとしても元の研究所、どこも機械に囲まれた場所です。ここだって、目につくところに機械らしい機械はなくても電波は入りますし、」ほら、と取り出した携帯の画面に Authenticationed terminal: personal name 松代あゆは {role: \\\‘student\\\’, class: {JHS: \\\‘fluorite\\\’}, room: {house: 1, floor: 2, room: 3}… と表示されている。「機械の檻の中にいるんですから。外に出て行くことなんてありません。可愛ければいいんです。守られているんですから、あとは、可愛ければ、いいんです。それ以外に何も望んだりしませんよ」
「まだ六十年近くも寿命は残ってるよ。繰り返す毎日が毎日同じで、少しも逸脱しないなんてあり得ない。いつかあたしたちの仲間いがいの社会に出て行くかもしれないんだから」
「そうですね……そうだったらいいです。でも、来年の春はまたきますよ。先輩は、結城さんは卒業して、わたしは高等部になります。きっとまた同じように一年を過ごすんです」
「まあね……来年は、そうかもね」
 もう片方の足も乱暴にローファーに突っ込んで昇降口を出て行く。ガラス戸を開くと風が強くて髪があばれる。松代も髪を抑えて耳を閉じている。双子たちはすでに階段の下にいて雨にぬれても気にしていない。
「走ろうか」
「そうですね。わたしはもう紅葉や青葉みたいに濡れることを気にしないなんてことはできなくなってますし」
「いちいち言葉がながいね」
「閉じ込められているから安心しているんです。からだの外にでなくて、だから、外のことを気にしないでいいって甘えてるんで……人の考えてることなんてわからないって、だから慮らなくていいって、わたしは自分のこと以外に向いていない、わたしの外のことは気にしないで、放言してしまっていいって」
「おまえはあたしみたいだね」
「そうなんですか……わたしも、何年かしたら結城さんみたいになるんですかね」
「知りはしないよ、そんなこと。それこそ、人の頭のうちで何がおこなわれているかなんて、テレパスがなければ知りようもない」
「もってるじゃないですか、テレパス」
「もう、使わないんだよ。こんなの、もっててもしょうがない」
「テレパスをもっている、強大な能力を持っている、運用の責任から逃げたいんですか」
「そうかもね。テレパスを使わないことで自分は弱い一個の人間だっていいたいのかもしれない。もっているだけで、それを運用しなくちゃいけない責任や倫理があるのかは知らないけど、こんなの押しつけられたものだ。くそ食らえ、って気分だよ」
「先輩も乱暴な言葉遣いをするんですね」
「怪物だってテレパスがあったって、能力を使わなければただの人間だよ。松代と同じような」
「そうですね。そういう風に生きたいと思ってるんです、きっと。その能力を、わたしは何も持っていないですけど、打ち捨ててただの個になりたいんです。蝟集した宗像先生の子でもなんでも、ただ集まっているだけで互いに干渉しない、ただの一個の人間の集合になってうちに閉じこもりたいんです。寄宿舎みたいに、厚い壁の内側の個々が関知せず、談話室や食堂のようなパブリックな場所、それ以外はまったくの個人で、許された場でしか参画しないようになりたいんです。わたしも、先輩みたいにひとり部屋にすんでみたいですね」
「勉強したらいい。成績がよければひとり部屋に移れるよ。でも、そればっかりじゃないよ。ひとりでいたって、寂しいだけだ」
「そうなんですか。まだ、ひとり部屋にすんだことはないのでわからないですね。勝手な想像だけです」
「もう、行こう」
 屋根の下をでて小さな足と靴で階段を駆け下りてゆく。雨に濡れたタイルは滑る、手すりもつかまず崩れ落ちるように前傾した姿勢を、転んでしまわないように脚をまえにだし一目散に個室の集まった寄宿舎へと走ってゆく。双子だってついてくる。松代だってついてくる。はしゃぎあう声だって、濡れることだって何でもいい、何でもいいんだ。松代のようにあたしも美しいからだをもっていたら何か違っていた、ひとり部屋に移ろうと思わなかっただろうか、それとも、彼女のようなことを思ったのか。
 昇降口と寄宿舎の間はほんの二、三百メートルでほとんど濡れることはない。双子だけがびしょ濡れになって松代は耳についたしずくを機敏に動かしてはじいている。早く部屋に戻って着替えようと談話室を横切ると花ちゃんと樫野がいた。樫野も傘をもってこなかったのか髪が濡れている。花ちゃんのほうは制服だけど濡れていなかった。彼女も、能力の程はしらないけれどテレパスをもっている、息苦しさとかを、感じたりしないのだろうか。尋ねたことはない。
「千佳だー!」「花もいるー!」走り寄る双子を横目になんだか疲れてしまっていて早く部屋に戻りたかった。本も読まないで眠ってしまったほうがいいのかもしれないと思っていたところに声をかけられて席に着いた。何もかもなし崩しだ、それとも松代がいうようにここは許された場で会話のなかにはいっていくことを強制されるような場なのだろうか。何もわからないでいる。よしのが来てから悩むことが増えた気がする。これが繰り返す毎日からの逸脱なのだろうか。大人でない、ただひとりだけの普通の、生身の人間があたしたちのなかに組み込まれたことでいつもと違うことを考えてしまうのだろうか。もう半年がすぎているのに、いや、元はといえばあたしが仕組んだことだけれど、まだなれていないのだろうか。放りこまれた異分子がながい毎日を逸脱させて、違うところへ導こうとしている。土地ではなくて頭のなかの地図が変わっていく、閉じこもっていた思考の外へ連れ出されていくような気がする、そんなことを思うのは確かなのだけど、これだって学芸会のときとおなじだ、日々と違うイベントに期待を抱きすぎている。松代にあんなことをいったのは自分にいい聞かせるためだったのだろうか。時々ある日常の逸脱を輻輳するものがよしので、彼女にこの怪物の生活を終わらせて欲しい、確率のうちでどこか違うところへ連れ出してくれるって元から期待を抱いていた。だけど、毎日の生活はもうできあがっていて、巨大で膨大で、小さな異分子は飲みこまれて無効にされてしまう。そのことに、からだだけでなく島に閉じこめられていることに苛立っているのだろうか。
「千佳どうしたのー? 落ち込んでるの!」「花もいつもとちがーう」「そうかな……私はいつも通りだよ」「花も、いつもと同じだよぉ」「えー違うよぉ」「花も千佳も、苦しそう!」「あやなもあゆはも!」「あたしも、普通だよ。少し疲れてるかもしれないけど」「そうですね、わたしも、なんだか少し疲れているかもしれません。でも、普通ですよ」
 見抜かれているのだろうか。花ちゃんも樫野も、全部あたしのしたことなんだ。告白したら、どうなるのだろう。嫌われてしまうだろうか。それとも、受け入れてもらえるだろうか。きっと、だめだろう。でも、か細いものにだって、一縷の望みだって賭けてしまいたくなるこの身命を投げ出す、根源は寂しさで何とも俗っぽいものだけどやっぱり、疲れ切っているんだ。目の前にある分水嶺をにらみつけ、高さに絶望している。いくつもくだらないものに落ちてゆく機会を峻別して乗り越えてきた、だけど、もう限界なんだ。この山を下りたら、二度と今のようなものにはなれないだろう。それでも、もう、誰かと一緒にいたいんだ。隣に座る松代はあたしに似ているといった、似たもの同士だったら、許すこともしてくれるだろうか。似ているのだったら、きっと、あたしと同じような悩みを抱くこともあっただろう。なら、許してくれるだろうか。関をこえたら、苦悩は遠く離れ、見下すことができる。いくつも越えてきたものを数々の悩みを無効にして小さなものにした、これだって同じなんだ。ここで下りることはできない。下りるにはいくつもの山を越えすぎた、自負が身をむしばんでいるんだ。