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120828(Tue) 21:59:40

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1章

曖昧さが強力になればなるほど、興奮は活潑になる。子供のころ、お医者さんごっこというあの絶妙なる遊びをやった覚えのないひとが、誰かいるだろうか?
ジョルジュ・ペレック著 酒詰治男訳『人生使用法』水声社 1992

1

 都心に近い土地はあらかた開発されたのち、延伸した私鉄の路線とともにつくられていったベッドタウンにある。ベッドタウンといってもたいしたものではなくて、まったく田舎ではないけど当然栄えてはいない、駅前に申し訳程度の住宅街のある寂れた、急行の停まる街だ。買い物には車で、国道沿いにあるジャスコを小さくしたような一階建てのテナントが並ぶ(スーパーと本屋と靴屋と服屋、ホームセンターにファストフード店に理髪店、不動産屋……そういう、名前はわからないし実体もわからない、けれど想像に難くないような)店へ行く。そんな、関東平野と山の裾野の曖昧な土地にわたしとわたしの家族の住む屋敷がある。
 屋敷は街外れの高台にあり、周囲には家の一軒もない。雑木林や畑に囲まれた、そこだけみるとまるきりど田舎みたいななかに忽然と高い塀と垣根に三方を囲まれてなかをまったく覗えない、いかにも幽霊屋敷といった風な屋敷だ。わたしも、屋敷に引っ越してきたときにはそう思った。きっと、元からこの土地に住んでいたのだったら、まわりの子と一緒に幽霊屋敷の噂話をしたのだろうけれど、いまではわたしが噂される当人だ。
 二メートル半以上はあるだろう、中をうかがわせない鉄の大扉の脇に設えられた通用口を通り、家に帰り着く。造園業者などは特に呼んでいないから庭はほとんど野放図だ。あと二ヶ月もすればそこら中に芽を吹いた草木があふれ、その一ヶ月後には濃い草のにおいをさせるだろう。けれど、これでもまだましになったほうだった。越してきた当時、五年前にはまえの住人が去ってから十分な時間がすぎ、いま以上に草木が猛威をふるう、ひとの痕跡は認められないような庭だったのだ。それをかずみが、翌年には大江さんも加わってささやかながら整備を続けた結果、いまのまったく荒れ放題ではない庭がある。
 無造作に植えられた(庭が造られたときはやっぱり配置などは考えてされたのだろうけれど)花梨の木をしばらく眺めてから振りかえり、屋敷のほうをみると分厚い雲の向こうに天使のはしごが降りていた。
 自転車を車庫に停め、分厚く重たい扉を押し、玄関をくぐる。なんでも、ヨーロッパのどこかから移築してきたものらしく、うちは物語に出てきそうなお屋敷という風である。
「おかえり、秋乃」「あら秋乃ちゃんお帰り。今日は遅かったのね」玄関ホールには誰もいないと思ったのに父のひとりであるいちかと居候のすみれさんがいた。
「お父さん、すみれさん、ただいま。ちょっと、学校でいろいろあって」
 うちの家族には父がふたりいる、母はいない。かわりに、魔女とメイドがいる。事情のあるようにみえるらしく、何かと近所や(といっても数百メートル内に家はないけれど)同級生の噂になりがちな家だった。わたしはひとつの家族しかしらないから普通に思うけど、普通の家に父はふたりいないらしい。当然、常識として父はひとりまで、母もひとりまでというのも、魔女なんてものもいないのは知っているけど、実感はわかなかった。
「サーシャちゃん、きてるわよ」
「どこ?」
「部屋に通したわ」それだけいうと父もすみれさんも食堂のほうへ消えてしまう。
 サーシャというのはわたしの三つ年下の友人で、外国人みたいな名前だけど日本人の女の子だ。日本人だけど、ロシア人みたいなあだ名はあながち外れてもいなくて、なんでもお祖母さんがロシア人なんだそうな。その面影は目鼻立ちには残らなかったけれど、髪だけは明るい栗色をしている。
「あっ、秋乃おかえりなさい」「ただいま、かずみ」階段でメイドのかずみとすれ違う。「お茶、もう準備してくれた?」「ふたり分、お茶請けももう持っていってありますよ」「ありがとー。かずみ大好き!」「ふふ。かずみも秋乃のこと好きだよ」脚をとめることなく振りかえりながら言葉を交わし、わたしは三階左翼にある自分の部屋へと歩を進める。
「ひーちゃんおかえり~」
 机の椅子に座ったサーシャがわたしの姿を見るなり声をかけてくれる。けど、今日はすこし疲れていて口を開く気力も残っていなかった。
「どうしたの? 今日も、疲れたの?」
 その通り、まったく疲れきっていて、鞄を置くのも煩わしくてまっすぐにベッドへ倒れこんだ。
「返事もないってことは本当に疲れたんだねえ……」
 ひんやりとした布団に顔を埋めて、あたりは真っ暗。倦怠がベッドに接したところからじわじわ吸いとられていくみたいに気持ちよくて、眠たくなってしまう。
「今日は体育があったの?」
「……んーん」
 サーシャは、平日はほとんど毎日うちへ遊びに来てくれる。そのまま夕飯をともにすることもあるし、泊まっていくこともある。友達というよりも半分家族みたいな子だった。だから、疲れていることも、その理由もなんとなく察してしまう。今回は、外れてしまったけれど。
 会話はとまって、かわりにかちゃかちゃという音が彼女のほうから聞こえてくる。お茶を淹れてくれているんだなとわかる。もぞもぞとからだを動かし、腕を枕にして片目でサーシャのほうをうかがう。紺色の吊りスカートと白いブラウスの制服の背中を眺めながら、ぼんやりとする。
「ほら」とりにきて、という風にソーサーに載せたカップを突きだされる。でも、今日はもうそんな気力もないくらい疲れているんだ。
「もう……そんなに疲れたの?」
「うん……」
「制服、しわになっちゃうよ」
「あとで大江さんにアイロンかけてもらうからいい……」大江さんは、うちにいるもうひとりのメイドだ。
「お仕事ふやしちゃだめだよ?」
「うん……」
「ほら、起きなきゃ」そういって、紅茶は机に置かれ、サーシャはわたしを起こしにかかる。さすがに十歳と十三歳で、からだはわたしのほうが随分大きい。力をいれていない、ぐにゃぐにゃしたわたしのからだは重たいみたいで苦労するようだ。彼女の肩に載せられたわたしは右へ左へ踊る。「おー。がんばれサーシャ」「そんなこといってないで自分で起きてよ」「んー。サーシャに起こしてもらいたいな」「はあ……」
 ようやく安定して座ったわたしに、また横になっちゃだめだよ、念押ししてカップをとりに戻る。「んー。まだ横になりたいな……」わたしの言葉は無視されたみたいで、すぐに空中にほどけた。戻ってきたサーシャはわたしの膝にすわる。
「どうしたの?」
「ひーちゃんが横になろうとしたら、お茶、こぼれちゃうからね」
「む……姑息な手を使うんだね」
 びっくりさせないようにゆっくりとサーシャの腰に手を回して抱きしめる。
「お茶碗、自分で持てる?」
「持てるけど、サーシャに飲ませて欲しいな」
「仕方ないなあ……」
 仕方ない、サーシャはそんなことをいってわたしのわがままを受けいれてしまう。こんな状態ではいけないな、とは思うけど、サーシャと一緒にいるとつい甘えてしまう。
 ふつう、中学二年生は小学四年生に甘えたりなんてしない。けれど、わたしは甘えてしまう。確かにわたしたちは中学二年生十三歳の道長秋乃と、小学四年生十歳の有原みゆき(サーシャの本名だ)だけれど、でもわたしたちはひーちゃんとサーシャで、そこに年齢や立場、なんてものは関係ない。
 サーシャのことが好きで、彼女もわたしを好いてくれていて、だから、こうして甘えることもある。他ならないわたしとサーシャの関係で、十三歳と十歳の、中学生と小学生の関係ではないからだ。
「体育はなかったんでしょ、どうしてそんなに疲れてるの? 昨日も今日ほどじゃないけど結構疲れてたよね」