donuthole.org / novels / 廃屋に花 / 1章-2

120830(Thu) 02:54:19

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 疲れている理由。
 四月といったら学生にとっては学年が新しくなりクラス替えのある月だ。誰と一緒のクラスになったとか、友達と離れてしまっただとか、掲示板に張り出されたクラス割りの表のまえでは悲喜交々の絵が展開される。
 けれどわたしは、あまり孤立しないようにしようと思うだけで、誰と同じクラスになるだとかはあまり関係のないことだった。小学三年生のときこの街へ引っ越してきてから五年間、誰とも喋らないとまではいかないけれど友達らしい友達のいない学校生活をしていたからだ。
 だから、わたしには関係がなかった。今年までは。
 今年まではというのもうちの中学校の生徒はほぼ全員小学校からの持ちあがりで面子が入れかわることは希で、積極的に噂の的であるわたしと仲良くしたいひとがいないというのも知っていたから、毎年のようにクラスのおとなしいグループの末席にでも加えてもらえればよかったのだけどひとつだけ例外があった。
 新学期が始まって二週間、四月一日付けで転校してきた小湊結那と一緒のクラスになってしまったのが運の尽きだった。始業式の日、黒板のまえで挨拶をする彼女はなんでも東京から越してきたそうで、それはそれは大層な都落ちだなあと他人事のように(そういうわたしも以前は東京都に住んでいたのだけど)思い、なんだか目立ちそうな子だから関わることもないだろうと思ったのに一昨昨日からは違った。推測は外れ、クラス委員を決める際には余った保健委員に一緒に就くことになり、そうなると必然的に会話をすることになる。先週委員になったのだけど、その日は一緒の委員になったねえと他愛もない話をするだけだけのはずが四日前には委員会の会議があり、となると議場の教室では席も隣同士になり、やはりなんだかんだと仕事の話はもちろん雑談だってすることになってしまう。そこまでは、誰とだってよくある話だ。
 けれど、その問題になるその日、お昼休み、うちの学校は給食ではなくお弁当を持っていく、当然、仲のいいグループ同士でまとまってお昼をたべ、転校してきて二週間もすれば小湊さんのほうもなんとなく一緒にたべるグループというのができてくる。なのに、その日だけはすべての誘いを断り、お弁当をもってわたしの机のまえに立ったのだ。普通、そんなことするか? と思ってしまう。折角、華やかなグループに入りそうだったのを蹴るみたいにして、客観的にみてどう考えても地味なわたしとお昼を一緒にしたいだなんて。クラス内力学に疎いほうだと自分でもわかっているけれどさすがにこの状況があまりよくないというくらいはわかる。急いで逃げだそうと彼女の手を取り教室を出ようとしたとき、するどい舌打ちの音が聞こえてくるのも聞こえてきた。
 別に、彼女らのほうだって、小湊さんのことをすごく気に入っているという訳ではないだろう。転校生は珍しいし東京の話も聴きたいだろうけど、そんなのはだらけた昼食に花を添える話題のひとつでしかなくて、目的は小湊さんの存在自体だ。東京から来た転校生というのはそこそこ田舎にあるうちの学校ではそのグループのステータスになる。せっかく自分たちのグループに箔がつくと思ったのに危うくスクールカーストほとんど最下位根暗女子にさらわれてしまいそうになるのは不愉快と思うのだろうし、面子にも関わるのだろう。舌打ちをするのだってそうだ。きっと、わたしは怒っているというのを周囲に表し、わたしが小湊さんのことを奪ったと周りに思わせたかったのだろう。
 わたしだって自分の身は可愛い。彼女のことが嫌いという訳ではないけど、わざわざいじめられるような立場に自分を置きたくない。だから、そんなことを逃げのびてきた中庭で話したけれど、彼女のほうはあっけらかんとしているのだ。それどころか、そんなことはわかっているという。「んー。なんていうかねー。ああいうのってちょっと苦手でさ……秋乃は昨日話してそんなひとじゃないのかなって思ったから」なんて宣った。そのうえ帰りしなに、「今日は楽しかったよ。明日も一緒させてもらえないかな?」なんて、きっと自分が可愛いというのを自覚したうえで可愛らしくいうのだ。
 毒気を抜かれてしまったし、急いで教室を出てきたせいでお弁当を忘れたわたしは彼女に半分わけてもらっていたあとだし、面と向かって嫌だということもできないのでうなずいたけれど、あまりよい状況ではやっぱりない。もちろん、やっぱり、小湊さんのことは嫌いではないのだけど。
 そしてそれからの三日間、わたしと小湊さんは周りからみたら急速に仲を深めていったように見えただろう。休み時間ごとに彼女がわたしの机までやってきて何々と話をし、放課後にもやってきて三十分ほど教室で話をして勝手に去ってゆくだけなのだけど。
「と、そんな訳で最近疲れてるんだ」
 話し終えるころには茶碗は空き、膝において抱きしめたサーシャとわたしの体温が混ざりあっていた。
「お疲れさま。ひーちゃん、好きだよ」
 そういって、わたしのほうを向きぎゅーっと抱きしめられ、髪を撫でられ、ほっぺたを手のひらでこねくり回される。
「どうしたの、いきなり」
「んー。嫉妬と傲慢かなあ」彼女のいうことはときどきわからないので聞き流してしまう。
「それでさ、小湊さん、今度うちに遊びにきたいっていうんだよ」サーシャの目がゆっくりと見開かれ、閉じられる。
「いつ?」
「……どうしたの? いつでもいいっていったら、明日でもいい? って訊かれたからいいよって答えたよ。だから、明日くる」
「明日!?」
「う、うん……明日だとまずかったかな」
「……ううん。まだ気のせいかもしれないから。明日会ってみてからかんがえる」
 サーシャはわたしよりたくさんのことを考えている。たくさんのことを考えて、その結果だけを口にすることがあるからよくわからないことをいわれてしまうこともある。明日、というのもわたしにはわからないけど、彼女には何か思うところがあるのだろう。小湊さんが遊びにくることに、何か意図でもあるのだろうか。
「おお、よしよし」
 そういって、サーシャはわたしの頭を撫でる。また、よくわからないことだ。よくわからないけれど、彼女にそうされるのは気持ちよくて、甘えてしまう。
「わたし、かわいそう?」
「ううん。全然」
「サーシャがいるもんね。サーシャが、こうしてくれるから、かわいそうなんかじゃないよね」
「そう。全然」
 三つも年下なのに彼女はお姉さんみたいなことをしたがる。それとも、三つも年下だからだろうか。わたしのその歳の頃は思いだせない。もう、当時には彼女と一緒にいたから。
 首に絡められる腕と、頭に回される腕、二本の腕に抱きしめられ、がっしりとした安心を得る。歳のぶんだけ小さなからだにわたしも腕を回す。彼女の体温は高くて、小さな太陽みたいに、抱きしめるとその力が伝わってくる。指先が髪の束を割って頭皮にふれ、ゆっくりと撫でられてゆく。眠たくなるみたいにまぶたが重たくなる。
「ひーちゃんは、可愛いねえ……」
 わたしを可愛いというのはサーシャだけだよ。なんていわない。かわりに、背中にまわした腕にちからをこめて、肌をつよく重ねる。目を閉じて、彼女とふたりでいることを味わう。温かな体温を抱いて安心をする。こうした時間は得がたいものなのだろう。歳のぶんだけ積み重ねてきたものと照らしあわせればきっとそうだ。けれど、わたしとサーシャの間ではいつものことで、何の特別性もない。
 ひーちゃんと呼ぶのは、わたしがお姫さまみたいだからだそうだ。姫ちゃんが訛って、ひーちゃん。けれど、わたしはぜんぜんお姫さまのようではない。お姫さまだったら、かずみや大江さんにもっとしっかりとした態度をとれるかもしれない。けれど、いまは友達みたいな関係のままだ。わたしは、命令をするのが苦手だ。それとも、そんな風に振る舞うのは、それは女王様だろうか。
 ほんとうは、サーシャのほうがお姫さまみたいだ。ちいさな、賢いけれどいろいろなことを知らないお姫さま。年若いお姫さまは、たくさんの人間と交わらず、ひととひとの間に共有されていると思われているたくさんのことを知らない。小さな、すべてのひと同士が顔見知りな関係のなかで言葉を交わす。そして、そこにはたくさんのひとと交わるために必要になる類いの禁忌がない。
 それとも、わたしたちと一緒にいるためにたくさんのことを考えているのかも知れない。ほんとうは知っている、たくさんのしてはいけないことやいってはいけないこと、常識のようなものから身を守るために、論理を編み、無効にしていっているのかもしれない。論理で以てサーシャとわたしたちを傷つける何もかもを無効にして、強く立ち上がっているのかもしれない。なんて、全部妄想だけど。
「ひーちゃん、好きだよ。愛してるよ」
 呪文のように言葉を紡ぐ。すみれさんが魔女なら、サーシャはちいさな魔法使いだ。わたしはすみれさんに魔法を教わっているから、魔法がどんなものなのかをすこしは知っている。魔法は、自分の表情を操り、言葉を紡ぎ、相手のこころを意のままに扱うものだ。
 わたしのこころは彼女に捕まえられ、ゆっくりととかされてゆく。とかされて、混じりあってゆく。ひとりではいれなくなってしまって、きっと、サーシャと離ればなれになってしまったら、わたしは、もうわたしではない何者かになるか、死んでしまうしかないのだろうという予感がしてくる。けれど、嫌でも、怖くもない。きっと、わたしはどんどん弱いものになってしまっているのだろう。それがうれしくて仕方がない。運命にめぐりあわされた、だなんておこがましいことは思いやしない。わたしたちのよすがに運命なんてものが入りこむ余地はない。
 愛なんて、くだらない。くだらなくて、誰にも見向きをされないから、わたしたちは、わたしとサーシャのふたりだけでいられる。運命じゃないから、ふたりの関係を引き裂いて得をするひとなんていない。得をするひとがいないなら、見向きもされない。
 抱きしめて、胸と胸を押しつけあわせると、体温の熱よりも息苦しさを感じる。この息苦しさが好きだった。苦しくて、きっと恋をするというのはこういう感じなのだろうと思わせられる。
「サーシャのことが、好き」
 彼女は、小湊さんがあらわれることで、わたしたちの関係が変わってしまうことを恐れているのかもしれない。