donuthole.org / novels / 廃屋に花 / 1章-7

120902(Sun) 22:05:31

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 お屋敷は学校まで自転車で二十分、駅前までも二十分、最寄りのコンビニまでは十五分の街外れにあり、まわりは高い木と塀にぐるりと囲われて外からなかは覗えない。そういったところが幽霊屋敷と呼ばれる所以のひとつだった。
 自転車通学をするには黄色いヘルメットをかぶらないといけない。黄色いヘルメットなんて工事のひとかひよこみたいで格好悪いし可愛くない。当然、校門に立っている先生の目の届く範囲をすぎたら前籠に放られるものだけど、今日は自転車を漕ぐ彼女がかぶり、わたしは荷台に座っていた。ノーヘルのうえのふたり乗り。合計ふたつの校則違反だった。けれど、とがめるひともいないのだから関係ない。
「門、おおきいね」
 国道を外れ、雑木林と畑と田んぼのあいだをぬって、川をひとつすぎ、丘を登り、最後の雑木林をくぐるとわたしたちの、道長のお屋敷がある。二メートル半以上もある門をみて、自転車を停めた小湊さんはいう。
 お屋敷には生まれたときからすんでいる訳ではないので、もう慣れてしまったけどわたしも彼女の言葉に含まれたニュアンスを察知する。まえに立つひとを拒むような、なかが一切覗えないせいで想像力をかき立てる門を、引っ越してきて初めて見たとき、わたしも菊太郎といちかに同じようなことをいったのだった。
「秋乃の家って本当に大きいんだね」
 わたしとわたしの家族に関するたくさんの噂話を吹きこまれたのだろう。わたしが引っ越してきて五年間、小湊さんが引っ越してきて二週間。四日まえからはわたしと仲良くしないように、さらにたくさんのあり得もしない話を吹きこまれただろう。否定しなかった話の数々は尾鰭をつけられ、実態を捉えたものもあるけれどほとんどは見当違いなものだった。
「大きいだけで、でもたいしたことないよ」こういうことをいうと気負わせてしまうだろうかと思うけど、うちにはもうひとりの友人しか招いたことがないのでこんなときどんなことをいえばいいものなのかわからない。お屋敷、というものに住んでいるのに、お屋敷に住むひとのように振る舞えないのが嫌で答えにくい質問を口にする「うちのこと、どこできいたの」
「ん……どこかは覚えてないけど、何とない噂話だよ。クラスの、誰か」
「そう……」荷台から降りて、大扉の脇の通用門を開きながらどんな噂話をされていたのだろうかと勘ぐる。場合によっては、否定しないといけないだろうか。サーシャは複雑みたいだけど、わたしは彼女を、仲良くしたいというひとを突き放すようなことはしたくなかった。「でも、どうして。もともと仲良くしてたひとたちがいるでしょ。わたしは友達もいないし、小湊さんが一緒にいたいって思うような感じでもないと思うけど」それなのに、こんな卑屈なことをいってしまう。
 彼女は小さく息を吐く。「昨日いったとおりだよ」
「自転車、そこらへんに駐めといて。あとで片すから」勘ぐる言葉を笑顔でかわす姿にいたたまれなくなり、目を背けて歩きだす。自転車を駐めた彼女が小走りで追いかけてくる。
 玉砂利の敷かれた前庭をならんで歩く。小湊さんは珍しげに辺りをうかがっている。茂る木々の向こうに屋敷の屋根が見える。他は、どこをみても緑ばかりで奧は見透せない。
「幽霊屋敷のなかがこんなになってて驚いた? それとも、想像通りだった?」
 小湊さんはうちに来たいと四日まえからいっていた。きっと、彼女のまえにいたひとたちのあいだでは、そうするのが普通だったのだろうけれど、わたしは慣れていなくて、最初の二度は断ったけれどあまり無碍にするのも気が進まなかったので三度目にはいいといったのだった。彼女は、闖入者とはいわないけれど、全くの歓迎気分ではなくて、いいたくはないのにまた嫌味みたいなことをいってしまう。こういう性格だから、友達ができないのだろう。
「うーん。すごいヨーロッパの宮殿みたいな庭かもしれないみたいなことも想像したし、それとも何にも手入れされていない本当の幽霊屋敷みたいかもともおもったけど、どっちでもなかったね。でも、驚いてないよ。腑におちた、みたいな感じかも」
「そっか……」嫌な返事ではなかった。気をよくして口をひらく。「小湊さんは、花梨の花がいつ咲くか知ってる?」
「知らないよ」
「いま咲いてるんだ。そこ、ピンクの花が咲いてるでしょ」指さした先に小湊さんの視線は誘導される。「へー。花梨の木って初めてみたかも」「よく庭木にされてるからきっとみたことあると思うよ」彼女がうれしそうな顔をするのでわたしはさらに気をよくしてしまう。
 なんだか、絡めとられているみたいだ。
「花梨の木が好きなんだ。ピンクの花がきつい色をしてなくて慎ましいところとか、いまの時期だと葉っぱが、外側はまだ淡い緑いろで、葉脈の中心のほうが濃い緑をしてるでしょ、なんか、そういうのが好き」言葉はそこで切る。季節ごとに、毎月にも好きなものがたくさんあるんだ。来月になったら山の、どんぐりの木とか、けやきとかが一斉に芽を吹くでしょう。それで山が黄緑いろになるのが好きだし、梅雨も学校へ行くのは面倒だけど雨が夜中に降っているのが好き。七月は海開きがあるし、夏休みもあるし、しおれかけた立葵が強い日差しのなかにあるのも好きだよ……そんな風に続くのだけど、いきなりそんなことをいうのはおかしな気がして、やめた。
「秋乃の好きなもの教えてもらっちゃったね。うれしいよ。あたしの好きなものはね、」小湊さんのいう言葉をわたしはさえぎってしまう。
「えっと、あのね……」彼女の好きなものを教えてもらったら、後戻りできなくなってしまいそうな気がしたからだ。彼女の好きなものを教えてもらったら、それを目にするたびに小湊さんのことを思いだしてしまう。
 母屋の扉はもう目のまえだった。わたしの家の話は、どのように伝わっているのだろう。学年の噂話は、どんな風に彼女を思わせているのだろう。仲良くなってしまうのはまだ怖い、けれど突き放すことも苦手だ。何も誤解なくあってほしい、いままで何もいわずともいられる関係のなかにいて、説明することは苦手だった。その誤解がどうかわるいほうへ向いていないように。大切なひとたちがお茶請けと同じくらいの軽さで扱われるのは嫌だ。扉に手をかけて振りかえる。「わたしの家のこと、きいてるでしょう」
「そりゃあ、きいてるよ。ききたくなくても、いわれるもん」
「ほんとのことも、嘘のこともあるんだ」
「別に、詮索しないよ」
「よかった」
 言葉をきいて、扉を開く。
 吹き抜けの玄関ホールをみて、小湊さんは門のまえでと同じように驚く。わたしと同じ反応みたいだ。お話のなかにでてきそうな家が我がお屋敷だ。タイミングの悪いことに階段のまえには、昨日とのようにいちかさんとすみれさんがいた。
「ただいま……」
「あら、あたらしいお友達?」すみれさんに訊かれる。いちかはすみれさんの背中に隠れている。いちかは知らないひとが苦手だった。
「うん。今日つれてきてだいじょぶだった?」
「お友達くらいいつでもきてもらっていいに決まってるでしょう」
「ありがと、すみれさん」そう返すとふたりはリビングのほうに消える。姿が見えなくなってから、小湊さんは口をひらく。
「フリルのひとが秋乃のお母さん?」
「……ちがうよ。いちかはお父さん」
 案の定、小湊さんは首をひねる。当たりまえの反応で、お屋敷と違いいちかお父さんとは物心ついたころから一緒に暮らしているから疑問を持つことはなかったけれど、普通男のひとはフリルのついたワンピースを着たりはしないのだった。
「靴、ぬいでね」来客用のスリッパを用意しながらいう。サーシャのスリッパはなかった。
「あっ、うん」いかにも物語にでてきそうなお屋敷なのに土足は禁止というのはやっぱり珍しいみたいだ。わたしも、広々としたホールの片隅に下駄箱がおいてあるのはおかしなようにみえる。
 スリッパをぱたぱたいわせながら階段を上る。客室からかずみがあらわれる。
「あら、おかえりなさい」小湊さんをみて一瞬驚いた顔をしたけれど、その表情はすぐにひっこめられた。
「ただいま。サーシャにお茶だしてあるよね」
「はい。秋乃のぶんも用意してあるけど、もうひとりぶんだしますね」
「おねがい。お菓子もあるとうれしいな」かずみにほほえみかける。大江さんほどじゃないけど、かずみもお菓子の管理に厳しい。お菓子ばっかりたべてちゃいけませんというのだ。けど、今日は小湊さんがいるから許してもらえるかもしれない。うちにいり浸っているサーシャとふたりだったらきっと断られてしまうだろう。かずみはふわふわとしているけど、仕事のときだけはまじめだった。
「もう……仕方ないですね」そういってすれ違ってゆく。
「メイドさんって本当にいるんだね……」また、かずみが廊下の奥に消えてから小湊さんはいう。
「格好はそうだけど、そんな大げさなものじゃないよ」
 謙遜しちゃって、とかそれくらいはいわれるものと思ったけど何もいわれなかった。いった通り、お屋敷にはいったときからあまり突っこんだことは訊かれなくて、彼女には悪いけど少し意外に思う。
 ぎしぎしいう左翼の階段を上り、わたしの部屋に入る。