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120906(Thu) 23:25:07

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2章

わたしは永遠のものとつかの間のものとを同時に求める
ジョルジュ・ペレック著 酒詰治男訳『人生使用法』水声社 1992

1

 旅行の前日、結那は荷物を背負って遊びにくる。一週間がすぎ、わたしたちは親密になった。手をつなぐことも、人目のないところでは普通になった。口づけは、あれからしていないけれど、昼休みは外階段ですごすようになり、そのあいだ肩を触れさせ指を絡めるようになっていた。
 学校帰り、ふたり乗りで彼女の家にいく。制服を着替え、明日の旅行の鞄をとりにいくとのことだった。今日はうちにきて、そのまま泊まってゆくことになっている。
 玄関先で待っていると、しばらくして結那が戻ってくる。リュックがひとつと、着替えがはいっているのだろう、膨らんだボストンバッグをたすき掛けにしている。放課後遊ぶときは、いつも学校帰りにそのままうちにきていたから私服姿は初めてみる。彼女の格好はつい最近まで東京に住んでいたということで垢抜けているような気がする。ドットのシャツにダークグレーの丈の短いジャケット、白い化繊のティアードスカートを穿き、足元はきらきらのイミテーションの宝石をちりばめたミュールの格好はけれど、思ったよりも落ち着いた服装だった。垢抜けているといっても、ほとんど電車にも乗らないわたしからみたら、そういった格好はテレビのなか、普段見るような同年代といえば駅前とかにいる学校のジャージのままだったりスウェット姿ばかりなのであまり参考にはならないかもしれない。
「お待たせ」
 そういって階段を下りてくる。彼女の家は駅前の再開発と同じくして区画整理された街区の分譲住宅だった。彼女が階段を下りると閉じかけた玄関戸が開き、結那の母だろう、年配の女性があらわれる。彼女はわたしをじろじろとみて、しばらくのあいだ怪訝そうな顔をした。そういった不躾な視線には慣れているけれど、いきなり年上のひとにむけられるとすこしたじろぐ。
「秋乃ちゃんね。結那に話をきいてるわ。お友達になってくれたそうで、ありがとうね。それに、旅行までお招きになっちゃって……家族旅行だったんでしょう?」
「いいんです。もうひとりわたしの友人もきますし、わたしは結那さんのこと好きですし。今回のこと、いきなりお誘いしてご迷惑ではなかったですか」
「いいのよ。お友達と仲良くしてくれるぶんにはかまわないわ。こちらこそ、引っ越してきたばっかりでお友達ができるか心配してたのよ。もうこんなに仲のいいお友達ができたみたいでよかったわ。これからも結那と仲良くしてあげてね」
「ええ。もちろんです」
 そういい、階段を下りてくる。駅前商店街の洋菓子店の紙袋を手渡される。
「こんなものしか用意できなくて悪いけど、親御さんによろしく伝えてね」彼女は、うちのことをどれだけ知っているだろう。結那は、詳しいことまでは話していない気がする。けれど、噂話だってあるだろう。
「ええ、家のものにそう伝えておきます」そうでなくてもきっと、彼女のまえの学校の友人は、わたしとは毛色のちがうひとたちだったのだろう。それは結那が断片的に話すことにも、彼女の母の表情にも聞こえていた。
「それじゃあ、四日間よろしくおねがいね」
「ええ。お母さまがそう仰っていたと伝えます」
 心配そうに視線を向ける結那のお母さんの視線が背中に突き刺さらなくなるまで、曲がり角までは自転車を押して歩く。角を曲がれば、結那は黄色いヘルメットをかぶりサドルに座る。ヘルメットははじめてふたり乗りをしたときからずっと彼女がかぶっている。気に入っているのだろうか。
「ごめんね、お母さんあんなので」荷台に座ると自転車はゆっくりと加速する。ふらふら揺れて、道路のでこぼこにあわせて傾く。
「なにが?」
「あんな風に秋乃をみて……」
「いいよ。慣れてるから」
「……すごいね、秋乃はお母さんとあんな風に話ができて」
「別に、慣れって訳じゃないけど、なんとなく、一応、お嬢さまみたいなものだから。それにしてはへただけど」中学生としては上出来なのかもしれないけれど、お嬢さまとしては及第点に達しないだろう。
「あたしだったらどもって変なこといっちゃたりするよ」自転車は角を曲がり、広い道路に出る。まだ学校がおわったばかりの時間で、通学路にもなっている道には疎らに制服姿がいる。
「菊太郎といちかにも?」
「うーん。菊太郎さんといちかさんは大丈夫かなあ。あっ、ほら、花梨の木。学校へ行く途中、いつもみてるよ」
 駐車場の隅の木を結那は指さす。ハンドルから手を離して、自転車はまたふらふらと揺れる。花は終わりかけていて、わたしの好きなピンクと紅色の花は砂利道に散らばっている。みすぼらしくて、そういうところも好きだった。山のなかに生えているのではなくて、庭木にされた木の味わいみたいなものがある。結那は、花梨以外の木の名前を知っているだろうか。もしかしたら、知らないかもしれない。肩越しに腕を伸ばし、樹木のひとつずつの名前を口にする。片手を離していたら簡単に姿勢が崩れてしまう。肩は彼女の背中につけて、腕はお腹にまわした。「あの、向こうの家の大きな木が栗の木」まだ葉はついていない。樹皮から判断する。シイに近いけれど、庭木にはあまりしないだろうから栗だ。「その手前のが何だろうね、みかんの木かな。柚子とかじゃなくて、金柑でもないと思う。たぶん、みかんか甘夏か、そういう感じ」どれも常緑性の灌木に違いないけれど、それでも棘の有無や枝の広がりかたに違いがある「あれはシャクナゲ、来月末ごろに咲くよ。あっちのが梅で、隣が桃に、あの高いのがカクレミノ……珍しいね。そっちの枝が広がってるのがブーゲンビリア」どの木も、狭い庭に押しこめられるように生えている。
 そうやって話しているうちにお屋敷につく。自転車はもう門のまえに駐められることはない、車庫に自転車を置いて戻ってくると。結那は玄関先の比較的手入れのされている花壇をみていた。
「この小さいの可愛いね」
「これはスノーフレーク」
「ねえ、他にどんな花が好きなの?」
「いまだと、ナガミヒナゲシかな。あっちのオレンジ色の。その隣の青い同じようなのはアツミゲシ。まだ咲いてないけど、梅雨のころから咲く立葵が好き」世界史の授業はまだアヘン戦争まで進んでいない。庭は高い塀と木に囲われ、外から見られることはないし、みられても他の草木に隠れている。
「立葵ってどんな花が咲くの」
「たぶんみたことあると思う。ハイビスカスとかに近い感じ。ほら、あっちの木があるでしょ。あれは木槿っていって、あれも同じような花が咲くよ」本当は、ハイビスカスは属名で、木槿を含むハイビスカス属(フヨウ属)の総称で、普段いうハイビスカスはブッソウゲという。立葵はビロードアオイ属で、同じアオイ科で花の形も近いけど、花弁の数や葉の形がちがう。けれどあまり一気にたくさんのことをいうと混乱させてしまう気がしたので口にしなかった。
 彼女はしばらく、目を細めて庭を見渡していた。ときどき視線は一所に留められ、そのたび花の名前を教えた。
 玄関ホールで靴を脱ぐ。今日はまだサーシャのスリッパはスリッパたてにあった。
「そっちのバッグ、今日必要なものってはいってる?」
「リュックのほうにしか入ってないかな。ボストンバッグのほうは明日からの着替えとかだから」
「じゃあ、ちょっと待ってて」
 この時間なら台所かリビングにかずみか大江さんがいるだろう。リビングを覗くと大江さんがいたので結那の荷物を預かってもらう。「では、預かっておきますね。必要になりましたらお呼びください」
「あと、これ、結那のお母さんから。たぶんお菓子だと思う」
「わかりました。菊太郎さんとといちかさんに伝えます。お菓子は、お茶と一緒にだしますか」
「うん。おねがい。サーシャももうすぐくると思うから」
「かしこまりました」
 そういって大江さんは結那の荷物を置きにいく。
「なんか、ホテルみたいだね」
「そんなに高級なものじゃないとおもうよ。かずみにも大江さんにもよくしてもらってるけど」