donuthole.org / novels / 廃屋に花 / 2章-12

120921(Fri) 21:46:10

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 夜、昨日はすぐに眠ってしまったので、わたしが気づいていないだけでなかったら今日のはずだ。眠りと覚醒の曖昧な状態のなかでサーシャの手に触れる。いつものように寝相悪く寝返りを打っていないので、目を閉じているけど眠っていないはずだ。三人で眠るベッドは狭く、身動きするだけできっともうひとりの彼女も目を覚ましてしまうかもしれない。彼女の眠りの深さをわたしは知らない。おとといは寝不足だったからベッドから抜けだしても目を覚まさなかったのかもしれない。どんな風に眠るのか、二日間だけで知っていることはあまりにも少なく、思い煩うことがどれほどあるのかも知らない。カーテンを閉めない(わたしとサーシャはカーテンを閉めた部屋があまり得意でない)薄闇の部屋のなかで、横目に見る顔の緩むのを見留める。サーシャはゆっくりと起きあがり、ベッドから辷りでる。乱れたパジャマが音をたてずにしわを広げる。手を引っ張られ、わたしもベッドをでる。窓を背にしても彼女の目は炯々と光り、存在するにせよしないにせよ、これからみるものへの期待を露わにしている。
 四月の夜はまだ冷えていて、サーシャはカーディガンを羽織る。それを待ちながらわたしは結那のほうを見る。ひんやりとした板張りの床にすこし緊張しながら額に触れてゆっくりと指なぞり、洗礼をする神父さまはこんな気持ちなのだろうかと感じる。おとといは何もいわずにでていってしまったんだ、目を覚まさなかったけれど、もし、眠りからもどってきたときに誰もいなかったらとてもさみしい心地がするだろう、だから、今日は目を覚ましてわたしたちがいなくても大丈夫なように祝福の魔法をかけよう。眠りからさめたとき、さみしくないように、わたしたちが隣にいるように感じられるように。もちろんそんな魔法は存在しないし、魔法は目を覚ました人間にしかきかない。だから、独りよがりな、自分のこころを慰めるためだけのものだけど、それでもよかった。悪いことをしたと思っているから、償いたいと思っているのだ。
 けれど彼女は眠りの浅い性質なのだろうか、ゆっくりとまぶたをふるわせながら夢の世界から戻ってくる。「まだ、朝じゃないよ。もうすこし眠る?」「……どこへいくの」「トトロを探しにいくの」お化けを探しにいくといったら彼女は怖がるだろう。目をこすりながら起きあがる。寝ぼけているのかもしれない。「あたしもいく……」
 部屋をでて、まだ寝ぼけた風な結那はわたしに手をひかれながらふらふらと歩む。屋根裏部屋へいくことをまだわかっていないのかもしれない。独歩するサーシャの背中を追うことをやめ立ちどまる。廊下は山のほうへ向いていて海は見えないけれど、ひとつだけあいた窓から潮騒がかすかに届く。「結那、まだ眠たい?」「だいじょぶ……」「屋根裏部屋へいくけどだいじょぶ?」「こわいけど、ひとりでいるよりいっしょにいたい」
 お屋敷の右翼から左翼へ移動するにはいちど一階へおりなくてはいけない。スリッパを履かずに出てきてしまって、足のうらがひたひたと音をたてる。結那はもう目を覚ましたみたいで、出会ったばかりなのでこういったことはたくさんあるけれど、顔を緊張にこわばらせた表情に、怖がりなところを知れたことがうれしく思える。再び二階の廊下へ戻り、屋根裏部屋の入り口のまえへ立つ。サーシャは一度わたしと結那のほうを振りかえる。口にはださないけど、いいかな、と訊いているみたいでうなずきを返す。
 扉は軋んで音をたてる。恐ろしげな音で、きっとこの先に重大なものがあると思わせてくれるような音だった。窓のない階段は真っ暗で、わたしたちは壁に手をつけ、足で踏み板の位置を探りながらのぼる。サーシャの背中も、結那の手も見えない暗闇のなかだ。ぎしぎしという階段をのぼるたびに結那の緊張はますようで、指先から震えがつたわってくる。
 わたしは、どうしようかと思う。怪物もお化けもいないだろう。サーシャはがっかりするかもしれない。存在するかしないかわからない、わからないから存在できていた怪物は暴かれてしまうことで、明るい場所へ排斥されてしまうだろう。むかしは、いまより多くの怪物やお化け、妖怪がいたのだろう。山林の村には、そういったものを曖昧なまま存在させておくことができたのかもしれないけれど、いまではその非存在の多くが光に照らされ、消えてしまった。十数段の階段を上りきり、屋根裏部屋の扉のまえに立つ。もう一度、サーシャが振りかえる。
「ねえ、いるかな。いないかな。私、いるかも知れないってわくわくしてるよ」
「怖く、ないの……?」もう、強がりをいうこともなくなったのだろう。わたしたちはそれくらいにはこころを許してもらえたのだろうか。それともそんなのは勘違いだろうか。
「いるかもしれないって思うけど、きっといないって思ってるから。絶対いないっていえないけど、いままでお化けに殺されたひとなんていないから、もしかしたら私たちが初めてのひとになるかもしれないって思うとすこし楽しみになるよ」
 再び軋む扉が開けられる。怪物は襲いかかってこない。いるはずのないものは当然のようにいなかった。けれど、いないものをいないままにしてしまったら魔女の名折れだろう。わたしはすみれさんと同じように、実在する血の繋がった両親がいたとしても、存在しない悪魔と交わり生まれてきた子だといい、信じさせなくてはいけない。そんなこともできないようでは、魔法のひとつも使うことはできないだろう。
 サーシャの背中をさがし、手で触れる。ぴくりと跳ねあがり、わたしの手を怪物の手と思ってくれたのかも知れない。「サーシャ、こっちへ来て」結那の手を導き、サーシャの手とつながせる。わたしはふたりを離れ、また手探りで部屋のなかを進む。まえに来たときは蹴躓くようなものはなかったけれど、すり足で進むその音は蛇の呼吸のような音をたて、怪物の息のように聞こえるかも知れない。窓辺に立ち、鎧戸を開く。目の眩むような光はない、さざめく月光が部屋に落ちるだけだ。けれどそれだけで部屋のなかは明らかになる。むかしの使用人が使っていたのだろう、屋根裏部屋はマットレスだけがのった鉄製のベッドとたんすと姿見がひとつだけ。毛むくじゃらの巨躯の怪物がいないことはわかってしまう。
「やっぱり、何もいなかったね」すこし残念そうにサーシャはいう。
「いないけど、いるんだよ」
 ベッドに腰をおろすと埃が舞った。ふたりも一緒に腰掛ける。結那はというと、怪物の姿が見えないのにもかかわらずまだおびえた風だった。
「ゆい、怖がらないで。いまは誰もいないよ」
「いないから、こわいんじゃん。いたら怖がるだけでいいのに、いないから、見えないところにいるかもしれないってずっと考えちゃって怖いんだよ」
 サーシャには、怪物の存在を信じてもらいたい。結那をこれ以上怖がらせてしまうのは悪い。わたしは口をひらく。
「サーシャは、サンタクロースをいつまでいるって思ってた?」
「うーん……。幼稚園の、年中さんくらいかなあ」
「わたしは、いまでも信じてるよ。クリスマスの朝には、枕元にプレゼントがあるから」
 彼女は困った顔をする。
「プレゼントがもらえなくなるまでの期間限定?」
「ううん。それは、わたしが大人になったってことだから。わたしがプレゼントをもらえなくなっても世界中の子供にサンタクロースはプレゼントを配ってるよ。
 サンタクロースはクリスマスのために一年間おもちゃとか絵本とかぬいぐるみとか、たくさんのプレゼントをつくっているんだよ。彼の家にはおおきな工場があって、そこで、クリスマスを心待ちにしている子供たちにプレゼントをつくっているんだ。一年をいい子ですごした子にも、そうじゃない子にも」
 わたしがいまより小さなころに読んだ絵本のおはなしだ。題名ももう思いだせないけれど、当時は間違いなく信じていたし、いまでもそうであったらという期待混じりであるけれど信じている。きっと、子供たちの両親は、子供にサンタクロースを信じさせるためにあらゆる手を使うだろう。欲しいものを悟られないように訊きだし、きらきらの包装に包まれたプレゼントを戸棚の奥へ隠し、ある家では知人にサンタクロース役を頼んでプレゼントを手渡しさせるかも知れない。そうした子は、いつか友人にサンタクロースはいないといわれるまで、ずっと信じるのだろうし、いないといわれたあとも、いると信じ続けるのかも知れない。
 けれど、やっぱりサンタクロースは存在しないし、存在しないものを信じさせようとする親の言葉も、それは嘘だ。存在しないものを存在するように仕向ける嘘だ。だからといって、誰もその子の親を糺すことはないだろう。罪と断じることもないだろう。
「ひーちゃんは、嘘つき」
「魔法使いだからね。結那、まだ怖い?」
「……怖いよ。だって、いるかもしれないから」
「結那は、いまでもサンタクロースを信じてる」
「お父さんが、毎年プレゼントを寝ているあいだにおいていてくれるから。……信じてるよ」
「そっか、よかった」
 窓を閉じ、わたしたちは部屋をでる。結那はまだ怖がりの表情をしていたけれど、恐怖に支配されたようではない。階段を下り、わたしたちのベッドへ戻ろうとすると一階のホールに菊太郎がいた。
「まだ起きていたの」
 わたしとサーシャは慣れているけれど、結那は恥ずかしそうにわたしの背中に隠れる。
「もう眠るよ」
「眠れなかったのなら、何か飲むかい」
 眠れない訳ではなかった。けれど、屋根裏部屋をでてからのわたしはすこし興奮していて、ベッドに戻ってすぐに眠れるようだとは思えなかった。ふたりのほうをうかがうと、同じようだったのでキッチンへ向かう。
 キッチンは山のお屋敷ほどは広くないけれど、家具は同じように置かれている。小さなテーブルのうえには菊太郎がさっきまで飲んでいたのだろうグラスなどがあった。ここにいちかはいない、すみれさんももう部屋に引きあげ、眠るかどうかしてしまったのだろう。菊太郎は夜あまり眠らない。いちかは睡眠時間が不規則だけれど、眠っている時間が長い。ひとりで酒を飲む父の姿にすこしたじろぐ。
 椅子は二脚しかなく、わたしは隅に置かれた木箱に座る。菊太郎はいつかのすみれさんのようにコンロのまえに立ちお湯が沸くのを待っている。そういえば、菊太郎がお茶を淹れるところなんて初めて見たかも知れない。家だったらかずみか大江さんが淹れてくれるし、引っ越してくるまえはお茶をのむ習慣はなく、飲みたいときはわたしが淹れていた。これも、旅行にきたからちがう行動をしているのかもしれない。
 そういえばと思いだす。菊太郎はあまり眠らず、いちかは長く眠る。わたしが生まれるまえ、ふたりで暮らしていたころには一緒のベッドで眠ることもあったそうだ。父の生活は慣れたお屋敷と切り離され、宙に浮いたまま、手をこまねいているのかも知れない。昼間、すみれさんがいっていた、遊ぶのが苦手という言葉を思いだす。結局、ふたりはどこへ行ったのだろう。
 ティーポットがテーブルへ運ばれ、菊太郎は氷の溶けたグラスを、わたしたちはティーカップを傾ける。父のお茶はメイドの淹れたものとはちがって、薄く、渋みがつよかった。
「菊太郎とすみれさんは、どこへ遊びにいったの」
「大してどこかへ遊びへいった訳じゃないよ。ずっと車に乗って、灯台を見にいったよ」
「灯台?」
「なんだっけ、野島埼灯台とかいうところ」
「楽しかった?」
「普段いかないところだしね、どうだろう。楽しかったかな。すみれさんとそんな風にするのは学生のころぶりのような気がするから」ふたりの父とすみれさんは大学の同窓生らしい。菊太郎はというといまもその大学に勤めている。「一佳もいたらよかったんだけどね。学生のころは、そうやって遊びにいくこともあったから、むかしのように話せたかも知れない。いまだって、悪いものだとは思わないけど……」
「灯台はどうだったの」
「面白かったよ。灯台にのぼるのなんて初めてだし、資料館もあったしね」サーシャが土産物屋を楽しんだようにかは知らないけれど、菊太郎もそういったものが好きで、だれも見なさそうな小さな資料館や博物館に目を輝かせる。「一佳がいたら……いいや、無理に誘うことなんてできないけれど……」酔っているのだろう、シンクにもたれたからだと瞳がゆらゆら揺れる。「お父さん?」「いいや、大丈夫だよ」歳に似合わないくらい若々しいくすくす笑いをする。大学のころからほとんどの期間を一緒に暮らしてきたというし、離れることには何かしら思うことがあるのだろう。そうだろうか?「……僕は、秋乃のお父さんだったね」
 ひとりの人間にふたりの父は存在しない。実父と養父などのような形ではいるけれど、ふたりともが一緒に暮らし、ともに父であるというのはなかなかない。わたしだって、ふたりともを父であると思っているけれど、そこには嘘があるとわかっている。
「ひーちゃん、足のうらまっくろだよ!」出しぬけに大声をだされる。ふたりはスリッパを履いていたけれど、わたしはひんやりした床の感覚がたのしくてそのまま出てきてしまったのだ。ずっとひとが住んでいなかったのだから、足のうらくらい真っ黒になるだろう。
「あ、ああ……そうだね」
 それからわたしは土産物屋のことやバドミントンの話をしばらく話して台所を出ることになった。足のうらを汚したままベッドに入ることはできないということで浴場へ向かおうとするとふたりもついてきて三人でシャワーを浴び、髪を濡らしたまま眠った。きっと、明日には寝癖でひどいことになっているだろう。
 時間は夜の一時、明日は家に帰ることになる。