donuthole.org / novels / 廃屋に花 / 2章-6

120914(Fri) 21:32:08

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 関東平野の山際から外房の別荘までは車で三時間ほどかかる。高速にのるまでの道は田んぼのただ中をゆく、ずっと田んぼの続くなかを、東北自動車道と上越新幹線が走り、ときどき部活にいくのだろう、どこかの制服を着た自転車が走っている。大江さんのサンドイッチがあけられ、わたしの膝にのせられた。水筒のお茶はこぼされないようにのまれる。サンドイッチはレタスにチーズにハムといったよくあるものから、オイルサーディンやオリーブの実がはいったすこし背伸びしたものまであった。途中、運転をするかずみが顔を傾けるので口元に運んだりもした
 四人で話をしていたら外房まではすぐだった。途中、すみれさんが魔女だという話をすると、結那はたいそう驚いていた。

 外房には陽がいちばん高くなるよりいくらかまえ、十時すぎについた。海の際の森のなかにあり、狭い急な坂の先にあるので車はふもとに駐められる。まだ若い緑の木々が、アーチをつくり、その先に彼女の、もうひとつのお屋敷があるのだ。車のドアが閉じられ、各々の荷物が下ろされる。エンジンは切られ、最後のドアが閉じられると音は森を抜けてきた波の音と木々のざわめきだけになる。
 すみれさんの別荘には彼女がお屋敷に来てすぐ、一度だけきたことがある。いまでは陽のさす、あかるい別荘地のような印象を抱くけれど、何年かまえはそうではなかった。自分の鞄を持って、急な道の奧の、森のなかに隠れたお屋敷を目指す。
 深い、手入れのされていない森から、岩陰から恐ろしいものがあらわれると思っていたのだ。そのときの彼女は、よく知らない魔女で、とって食われるのではないかと心配していたのだ。おびえる幼年のわたしを彼女は脅かした。長く、茶気た髪を振りみだし、子供をさらう魔女のように振るまったのだ。すみれさんは魔女で、魔女であるためには魔女のように振るまわなくてはいけない。それは魔法をかける瞬間だけにそうなのではなく、いつだって、生活の些細な瞬間にさえ、意識のされない、すぎてゆく時間にでもそうでなくてはいけない。そうでなくては、望んだときに魔法をかけることもできなくなり、魔女でなくなってしまうからだということをもうわたしは知っている。だから、いまよりちいさいわたしがおびえて歩いた道を踏みだす。魔女になろうとおもっているのだからおびえることはない。わたしはこの森や、先にそびえるお屋敷と同じものになろうとしているのだから。
 お屋敷のまえでは、鞄はすべてかずみが運んでくれたけれど、この坂道をひとりで何往復もさせるのは忍びないということで、各自の荷物は自分で運ぶことになった。それでも、共用の品は彼女が運ぶことになり、彼女は無精したがりなので一度に運ぼうとする。たくさんの荷物を運び、けれど押しつぶされそうな様子は見せずに足を地面につけている。わたしは、こういったときどう振るまえばよいのかを知らない。
 魔女としての振るまいも、お姫さまとしての振るまいも知らなかった。
 生来のお姫さまだったら、彼女に荷物のすべてを託しただろう。何往復させても、自分で荷物を背負おうとはしなかっただろう。けれど、わたしはちいさい頃を東京のちいさなマンションですごし、お姫さまがお姫さまであるためのものを知らなかった。
「ひーちゃん、荷物おもたい?」
「ううん。平気」
 彼女がお姫さまであるとみてくれていることに報いられているだろうか。わたしは、彼女よりお姫さまである振るまいを期待され、その期待に応える術を考える。けれどそれはその時々の、お姫さまである振るまいを要求されるとき限りのものでしかない。本当はお姫さまなんかじゃないんだよと、口にはだせないことを思ってしまう。それは隠しごとだ。隠しごとのない関係がいい関係とは思わない。恋人どうしの語らいに、昔の恋人の話はあらわれないだろう。隠しごとをしていたって、しわあわせにすごせるだろうに、隠しごとは、口を重く閉ざし、さらなる隠しごとを生んでします。そのことが嫌だった。すべてを放りだし、彼女とお話をしたかった。なんて傲慢なのだろう。
「サーシャのほうが重たそうだよ」
 そういって、手提げ鞄をひとつ取りあげる。彼女は不満そうな顔をする。
「おもたくなんてないのに……」
「車、酔ってるんでしょ。足元ふらふらしてるよ」
 わたしは、サーシャの思ってくれるようなお姫さまではないんだよ。自分のことは自分でしてしまう、ひとに命令もできない弱々しいものなんだよと、口にだすことはできなくても、彼女の期待しない振るまいをしてしまう。わたしは、サーシャのひーちゃんではなくて、ただの秋乃だっていいたかった。お姫さまとしての振るまいをするのではなくて、わたしはわたしとして、サーシャとふたりだけの関係でありたかった。お姫さまとそのお友達でも、中学生と小学生でもなく、望むときにはみっともなく年下に甘えてしまうような、名前のない関係でありたかった。
「あーきのっ。そんな無理しないでいいんだよ! ほら、あたしのほうがからだおおきいんだしさ!」
 わたしの鞄も、サーシャの鞄も一緒くたにされ、今度は結那が運んでゆく。なんだか、見透かされているような気がして空恐ろしい不安を抱く。それは彼女がはじめてお屋敷にきたときからわかっていたことのはずなのに、結那は、彼女がいるということだけで、わたしとサーシャの関係を否応なく変えてしまうのだってわかっていたはずなのに、わたしは彼女にそうあたられることを嫌だと思えなかった。
 坂のふもとからお屋敷まではだいたい二百メートルくらいある。木々のトンネルを抜けると、出し抜けにあらわれる建物が彼女の、わたしたちのお屋敷にくるまえの隠棲だ。
 菊太郎はいちかと一緒に何度も訪れたことがあるらしい、すみれと並び何事もないようにお屋敷のほうへ歩いてゆく。かずみは重たい荷物を揺らしながら、わたしたちの隣に立つ。結那がわたしの手を不安げにとり、指先に力がこめられているのがわかり、握りかえした。きっと、幼年のわたしと同じように、不安を抱いているのだろう。けれど、サーシャは目を輝かせていた。
「サツキとメイのおうちみたい!」
 ああ、と思いだす。木々のトンネル、そこを抜けた先の家はそんな風に見えないこともない。お屋敷だけは、和風でなく、わたしたちのお屋敷のように洋風だけど。彼女はわたしと出会うまえ、放課後はお母さんが帰ってくるまでよくDVDをみてすごしていたそうだ。だから、きっと、何度もみたうちのひとつなのだろう。何度も、物語を見続け、没頭していたのかもしれない。
 一歩、ゆっくりと脚が踏みだされる。わたしたちは彼女をゆっくりと追う。楠ではないけれど、森の向こうにはひときわ大きな、おそらくクヌギが見える。わたしは魔女の見習いだった。何か、彼女を脅かすような、実在はしないけれど、目に見えないようなものの存在を信じさせてあげられたらと思う。
「ほら、鞄を置きにいこう。そしたら窓を開けて、探検しにいこう」
「うんっ!」
 何度も聞いたことないような、はしゃいだ返事だった。庭は誰かが手入れをしているのだろう。野放図に草が茂っている訳ではない。彼女は車酔いも忘れたように、飛び石を無視して跳ねるように庭を駆ける。ポーチの階段をジャンプして、玄関ホールへ消えてゆく。
「荷物は玄関においておいてくださいね」
「わかった。わかってるよ」
 かずみに不安そうにいわれる。彼女も生まれたときから、はじめて仕事に就いたときからメイドをしている訳ではない。わたしも生まれたときからお姫さまな訳でもお嬢さまな訳でもない。お姫さまもお嬢さまも、それはきっと生まれたときからそのように振るまってきたからそうなるのだ。だけど、と思ってしまう。いつか、わたしがそんな振るまいを身につけ、お姫さまとして誰も不安にさせることなく振るまえたら、きっとそれはいいことなのかもしれない。「——わかってるから。ほら、玄関までこんなに重たいものをもってはいけないよ」そういって、彼女に荷物を押しつける。「ほら、結那も荷物預けちゃいなよ」
「でも……」
「かずみはわたしのメイドだよ。結那はわたしの友達、こんな重たいものをもって歩かせる訳にはいかない」
 結那は困った顔をしながら手を離し、荷物を下ろす。「じゃあ、すみません。よろしくおねがいします」
「ええ。たしかに頼まれました。秋乃さまのいうとおり、結那さんはお嬢さまのご友人なのですから、そういったことはなさらないでください」そういって、冗談めかしたところもなくお辞儀をする。彼女は、完璧にメイドのように振るまった。わたしも、お嬢さま、お姫さまのように振るまわなくてはいけない。
「ほら、遊びにいこう。手をつないで三人で」明るい声をだし、お屋敷へ、サーシャがしたように駆けた。