donuthole.org / novels / 廃屋に花 / 2章-7

120915(Sat) 21:51:31

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 電気のつかないお屋敷のなかは薄暗く、空気はひんやりとしている。わたしたちのお屋敷のように、廊下は薄暗く曲がりくねり、角からは目に見えない生き物がわたしたち闖入者をうかがっているような気のしてくる魔女の隠棲だ。
「怖い?」
「ちょっとだけ」
「わたしも、むかしは怖かったな」
「ほんとう?」
「いまは、怖くないけどね。でも、何か出そうな感じでしょ? 本当にいるんだよ。夜中とか、お手洗いにいこうとしたときね――」
「やめてやめて!」
 みたことのない想像の生き物のことを語ろうとしたとき、サーシャが廊下の奥から走ってくる。薄暗いなかで、彼女の姿はわたしの想像と同じ、どこか異世界へ連れていかれてしまいそうな黒い影に見えた。
「ぎゃあっ!」
 飛びあがった結那はわたしに抱きつき、黒い影がサーシャだと気づいたときにはもう遅い。何でもなかったような顔をしても、抱きついた腕が彼女のおびえを表し、苦笑いを浮かべさせてしまう。
「サーシャ、まっくろくろすけはいた?」
「ううん。ゆい、なにしてるの?」
「――なにも、何もしてないよ」
「そう? ねっ、探検しよ。まだみてない部屋がたくさんあるの!」
 お屋敷は二階建てで、一部屋根裏部屋がある。二階の廊下は鎧戸が閉じられていて、ホールの吹き抜けから届く光以外真っ暗でいる。
「結那って怖がりなんだね」
「そんなんじゃないけど……」
 そうはいっても、彼女の右手はわたしの手を、左手は袖をつかんでいる。
「じゃあ、どんなの?」
 いじわるをしたいような気になり、訊いてみる。
「しーっ。何かいるかも……」サーシャは唇のまえに指を立てる。目を閉じ、耳をすます仕草だ。
「何かってなに……」
「まっくろくろすけはいそう?」
「窓あけたらいるかも!」
 廊下の奥へ歩き、紺色のカーディガンの小さな背が暗がりに溶けこむ。
「ねえ、ほんとにいたらどうするの……?」
「まっくろくろすけはいなくても、何かおばけとか怪物とかいるかもね。さっきは話せなかったけど、魔女のお屋敷だから――」
「やめてよ……」
 ぎゅうと手に力がこめられる。袖が伸びてしまうとわかっているけど、結那がそうやっておびえ、目に見えないものの存在を信じてくれることがうれしかった。
 廊下の真ん中の鎧戸が開かれ、光があふれる。暗がりに慣れた目がまぶしさに眩む。たしかに、廊下の隅を走るまっくろくろすけがいてもおかしくないような気がした。
「いた! 何かいた!!」やっぱり、何もいなかったねというとすると結那は叫び声をあげる。
 彼女には確かに見えたのだろう。だから、何も見えなかったことはいわなかった。廊下の真んなかでサーシャが叫ぶ、「私にも見えたよ! まっくろくろすけ!」
 それから、二階の窓を開けてまわった。光に慣れた目は二度とまっくろくろすけをみることはなかったけれど、サーシャは部屋の窓を開けるたび期待に瞳を光らせ、結那は何度でも不安がった。目に見えないものの存在、決して実在しないものがこれだけひとを楽しませてくれることが、見習いとはいえ魔女のわたしにはうれしく思えたけれど、同時に、妄想のなかのものが実在しない、想像の産物であると思ってしまえることが悲しかった。
 最後の窓は、二階の奧、急な階段をのぼった先にある屋根裏部屋だ。
「ここが最後?」
「だけど、ここから先はいっちゃだめだよ」
「どうして?」
「この奧は、まっくろくろすけとかじゃない、本当に怖い怪物が閉じこめてあるからね。はいったら、連れていかれちゃうよ」
「そっか……」
 サーシャは目を輝かせながら従順な返事をかえす。結那は、もうおびえることに疲れたみたいに涙目の無口になっていた。怖がらせすぎてしまったみたいだ。
「でも、階段の奧の扉をあけなければ何もないから、こっちの部屋に来なければ何もないよ」
 禁止は想像の翼を羽ばたかせる。夜、わたしたちが眠ったあと、サーシャはひとりで階段をのぼるのだろう。存在しないとわかっている、けれど、実際に目にみるまで否定できない恐ろしい彼の姿を夢見て。怪物の不在による落胆と、ほんとうに存在するかもしれないという期待、それから、彼の姿を目にしたときの恐怖を胸に抱いて。
「うん……」
「わたしと一緒にいれば平気だから、すみれさんに教わった、わたしは魔女の卵なんだよ」
 何か、お札とかがあったら、それを扉に貼っておいたら、彼女はもっと期待してくれたのかもしれないなと思う。夜までにでっち上げて、貼りつけておいたらもっと楽しんでくれるかもしれないと楽しい想像をする。
 二階の窓も扉もすべてあけられ、いまはもう、光と風が通りぬける、想像の生き物の存在しない場所になっていた。こうやって、存在しないものを押しのけてしまうのかもしれないと思う。「ほら、もう明るいでしょ。おばけはもういないよ」
 結那はふるえながら周りを見渡す。まぶたの裏が明るくなったことに気づいてもいなかったのだろう。おびえが抜けていくように手の力がとかれていった。
「ゆいはほんとうにこわがりなんだね」
 そういってサーシャは笑い、結那はうつむく。