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120924(Mon) 21:01:03

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3章

人は誰しも、人生の王様
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1

 旅行から帰ってきて一週間のゴールデンウィーク明け、朝起きると何となく頭が重たくて学校へ行きたくなかったので仮病を使った。仮病というのは学校用の話で、欠席すると電話をかけてくれた大江さんもほかのみんなもわたしがずる休みすることについて何もいうことはない。かずみなんかは、学生時代は学校へ行くのを面倒くさがって、出席日数の計算をしてぎりぎりしか出席していなかったという(そのうえ、本当に風邪をひいて出席がたりなかった年もあるらしい)。
 折角休んだのだからと二時間目がおわるころまでベッドですごし、断続的に眠ったり起きたりと繰りかえしていたけれどからだがだるくなったのでようやく起きだす。休みにした日は一日やることもなくすごす、とにかく、ゆっくりと、だらだらとすごそうと最初に起きたときから思っていた。ひらめいたときには明暗だと思ったけれど、どうやって時間を無為にしようかと机のまえで考えて、何もかも違うということに気がつく。
 とりあえずは遅い朝食でもと思って台所へ降りるとかずみも大江さんも仕事中らしく誰もいない。ラップのかけられた皿をレンジに入れて、ぼんやりとする。ほんとうは、お姫さまならこういったとき自分でお茶を淹れることなんてないのだろうけれど、お姫さまになりきれないわたしはケトルを火にかけている。
 なるべく時間をかけて、よく噛んで食事をするけれど、何もしない、無為というのとはすこしちがう気がする。もっとそれらしい行動はないだろうかと思うけれど、やはりちがう気がする、なんて呆けたことを考えていると電話が鳴る。何もしない日だからとらないでいようと、椅子のうえでじっとベルが鳴り止むのを待ち、七コール目でようやく止む。
 野菜のスープを飲み干し、ゆっくりゆっくりと手を動かし茶碗をつかもうとすると台所の戸が開く。
「秋乃、ここにいらっしゃいましたか」そういってあらわれたのは大江さんだ。「サーシャが遊びにくると電話がきました。申し合わせでもしてたのですか」
「ううん。サーシャが休んでるなんてしらなかったよ。いつ頃?」
「もう家をでるそうです」
 となると、あと十五分くらいだ。まだ寝間着のままで、着替えないといけないなと思い自分のからだを見おろす。今日はいちにち何もしない日、だったはずなのに、普段着に着替えてしまったら何かしようとしているみたいだった。けれど、サーシャがきてくれるのはうれしいので部屋に戻って着替える。今頃結那はどうしているだろうか。わたしがいないと、誰と昼食をともにするのだろうか。誰も、わたしのように彼女とお昼休みをすごすことなんてないのにそんなことを考えてしまっている。携帯でももっていたらいますぐ訊けただろう。けれどわたしは学校がおわるのを待ち、彼女がきてくれるかも知れないのを待たなくては今日一日を彼女がどう過ごしたのか知ることはできない。食事をしたあとの眠気にまかせてベッドに横たわっていると扉が開きサーシャがやってくる。学校帰りのように制服姿ではなく、薄手のパーカーの私服姿だ。
「ひーちゃん風邪?」
「頭が重くてお腹が痛くて吐き気がして鼻水がとまらないってことになってるけどからだの調子はすごくいいよ」
「仮病なんだ」くすりと笑う。彼女とこうして、仮病同士のままあうのは時々あることだった。
「でも、眠たくてぼんやりしてるの。ね、サーシャ、こっちきて」
「……仕方ないなあ」
 仕方ないなんていって、やっぱりサーシャは甘えさせてくれる。横になるわたしの隣に座り、頭を撫でてくれることにやたらめったら愛おしさのようなものを喚起させられて彼女のお腹に頭を埋め、洗剤と、体温に温められたからだの、かすかに甘いにおいをかぐ。
「ひーちゃんは本当に仕方ないんだねえ~、こんなに甘えて」
 撫でられ、背中をさすられ、ずっとこうしてたいような気になってしまう。そういえば、旅行のあとからこうすることもずっとなかったなと思いだす。久しぶりだから、ただ抱きつくだけじゃぜんぜんたりない気がしてくる。けれどそれ以上のことを求めることもできなくて、いっそうつよく彼女へ近づこうと顔を押しつけた。
「きょうはとっても甘えん坊さんなんだねえ、つらいことがあった訳じゃないよね? そんなに甘えて、どうしちゃったのかな?」
 あやすような言葉がとても心地よくはいってくる。きっとお屋敷のことを噂する学校の人たちだって、彼女のことは知っているかもしれないけれど、こうしていることまでは知らないだろう。
「ひさしぶり、だから、ね。旅行に行ってからずっと、こうしてなかったよ」
「ずっと、こうしたいって思ってくれてたの?」
「思ってた、かも。けど、なかなか機会がなかったから」
「仕方ないひーちゃんだねえ」
 仕方ない仕方ないといいながら撫でられさすられ、気がつけば窓辺の陽だまりの位置が変わるまでそうしていた。結那がくるようになってから、彼女とこうする機会は減っていた。三人で横になってだらだらとすごすことはあるけれど、ふたりだけでわたしが彼女に甘えるということは少なくなっていた。かわりに、結那が彼女にそうすることは増えていた。旅行の、内緒話をするといったときからそうだ。ふたりはいつの間にか仲良くなっていた。そのことについて訊いたことはない。ああ、と思いだす。彼女の押し切られちゃうよという言葉、口づけまで、その先はわたしにはまだないけれど、彼女のほうはどうだろう。サーシャも、わたしと同じように結那としているのかも知れない。たとえば、帰り道、わたしは玄関までしか送ってゆかないから、その先のことは知らない。お屋敷のまえの坂道を下り、住宅街を抜け、ふたりが一緒の帰路につくとき、そうしたことがあるのかも知れない。嫉妬はない、けれど、ふたりがそうしてるところをみてみたいと思った。
 起きあがり、そんなはずもないのに結那の味がしないかと唇を重ねる。サーシャのにおいがして、ふわふわとするだけだった。ふわふわして、頭を抱かれ、そのまま三度口づけをする。いままで、こんなことを考えながら口づけることなんてなかった、結那がこちらへきてから、いろいろなことが変わってしまったなと思いだす。
「ひーちゃんは、口づけをしてくれるのに遠くへいるみたいだね」
「うん……隠しごとをしてたから。
 サーシャが結那とキスをしたのかなって思ったの」
「思って? とられちゃうって思った? 一緒だよ。ながいあいだ一緒にいたから、これからもきっとそうだよ」
「したの?」
「したよ。何度か」
 やっぱり、と思う。「わたしみたいだった?」「そんなこと、ある訳ないよ」最後にもう一度して、からだを離される。「ね、図書室いこ」それ以上の隠しごとなんてないように立ちあがる。ないようだから、ないのだろう。結那と友達になるまで、親しいひとはお屋敷の家族しかいなかった。だから、それ以外のひとたちのことを知らない。隠しごとがないようならないのだろう。後ろめたさやその他の理由からそうするひとたちのことをわたしは学校のよく話したことのない間柄のひとが話す内容からしか知らない。
 三階のわたしの部屋と反対の、右翼の奥の部屋は図書室になっている。図書室というよりも、菊太郎やそれぞれの住人の本棚に収まりきらなくなった本がまとめて置かれているだけだけど。東向きの部屋で、いまは窓からななめに陽がさしている。陽だまりのなかの椅子に大江さんが座っていて、膝のうえには大判の本を開き、胸にはウミガメのぬいぐるみを抱いている。お土産は喜んでもらえたみたいだ。ひらいた本は彼女が繰りかえし読んでいるもので、もう内容もすっかりおぼえているのだろう、集中して読んでいる訳ではなく、すぐにわたしたちの姿を見つけた。
「あの、その……ぬいぐるみ、ありがとうございます」そういうとまた膝の本に目を落とす。彼女の繰りかえし読む本はラプンツェルで、なんでも、お気にいりだそうで、自分の名前みたいだからといっていた。
「いつか王子様がやってきてくれる?」
「私は、かずみがいるから十分です。
 ……むかしは、こうやって絵本を人前で読むこともありませんでした。市立図書館とか、それくらいでしか。私が絵本を読んでいると変に見えるそうですから。でも、いまは、かずみが、いますから」ページを押さえる手を離し、ウミガメの頭をくすぐるようにいじる。
 男家族にうまれて、他に絵本を読む兄弟なんていなかったのだろう。たとえ絵本が好きでも、家だと読みにくそうだ。
「午後からは、夏になるまえに庭の整備をします。何かありましたらお手数ですが庭のほうまでお呼びください」
 何を読もうかと本棚を眺めているとサーシャが読むものを見つけてくる。わたしが何度も読んだ植物図鑑だった。「これ、午後は庭にいこう。図鑑の草花を探すの」