donuthole.org / novels / 廃屋に花 / 3章-2

120925(Tue) 22:31:21

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 いちかとかずみ、大江さんと昼食をとり、庭へでるころには陽ももう一番高いところをすぎ、サーシャは日焼けどめを塗り日傘をさしている。元は美しい庭だったそうだけれど、いまでは垣根は方々へ伸び、ほとんど荒れ放題でいる。まだ枝ばかりの木が多いけれど、まったく先の見えない訳ではないけれど、鉄条網みたいな山吹や、花壇から種をこぼしたジギタリスや鳥が種を運んできたのかもしれない鳩麦、花を落としかけた沈丁花などが茂り、これから来る夏を予感させている。夏になればさらに枳殻や夏ばらが茂り、少しでも手をかけなければ立ちいることもできない緑の塊になってしまう。
「日傘、ひっかかっちゃわない?」
「気をつけるしかないかな……」
 彼女の手から傘をとり高くに掲げる。風が吹き木立が揺れる。草むらで影が走った。猫かイタチかタヌキだろう。つよい日差しの、初夏の日だった。きっとこれから暑い日が続く。十三年間のなかで夏のこない歳はなかったのに、暑いのが苦手なわたしは夏がこないことを期待してしまう。暑くなったら、サーシャとこうやって手をつなぐことだってためらってしまうかもしれないし、さっきのように部屋ですごすことも一仕事になってしまう。納屋のほうから大江さんがはしごを、かずみが普通の枝きりばさみと高枝きりばさみを運んでいる。遠くで、ふたりは笑いあっているけれどどんな話をしているのかはわからない。
 去年植えた花は花壇のなかで痩せながらもまた咲いている。ピンクと黄色の花をさしてサーシャは訊く、これは何の花。プリムラだよと教える。あれはととなりのサクラソウを指し、これもプリムラといい図鑑を手繰る。どちらもサクラソウ属の種だった。花壇を離れ、そこら中に生える雑草をまた指さし名前をひとつずつ口にする。和名のある草もない草も、園芸種としての名前も知らずラテン語やギリシャ語でつけられた名前しかしらないものも、たくさんの名前を唱えるのは魔女の呪文のようだった。すみれさんは昼間の仕事にでていてお屋敷にはいない。いたら、わたしはそういった方面のことは知らないけれどどれに毒があるとかどんな薬効があるとか教えてくれただろう。魔女は草を煎り、潰して薬をつくっていそうな生き物だから、そういったことについても薬はつくらなくても知らなくてはいけないといっていた。
 垣根と木立、草むらを分けいり広い庭のなかを進んでゆく。立ち止まりながら、話をしながらなので振りかえってもお屋敷の母屋からはまだ近くだ。それなのに、緑の海のなかを進んでいると気持ちがぼんやりしてきて、頭がくらくらとする。しゃがんだり、立ちあがったり、すべらかな葉を目のまえに、土の粒がめのまえに。立ちあがり、視界は緑でいっぱいになる。そうだ、お屋敷に引っ越してきてすぐのころにわたしは天使を見たのだった。お屋敷の屋根のうえ、今日みたいに日差しの初夏で屋根の輪郭をとかすような光のなかに、天使がいたのだった。引かれる手に背き、あたりを見渡す、天使の姿は見えた、外房の海にでも、お屋敷の屋根にも。そして今日も。
「天使だよ、サーシャ」
 指さす先、三階建ての屋根のうえに昔と同じ姿がみえる。日差しのなかでゆらゆらゆれて、一瞬で消えてしまう。「みえた?」「ううん。みえなかった」
「怪物はいなかったけど、天使はいるんだねえ……」
 怪物もサンタクロースも天使もいないことをもう知っている。けれどわたしにはみえていた。きっと、何かの見間違いだろう。けれど、サンタクロースを否定されても信じる子供のようにわたしは天使の姿をみていた。