donuthole.org / novels / 廃屋に花 / 3章-3

120927(Thu) 21:30:31

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「風邪はもう治ったの」
「ううん、仮病だよ。昨日はどうしてたの?」
 昨日、結那はうちにこなかった。風邪をひいているのだから当然といえば当然の話で、それに対してどうとかいえることはないはずなのに、きてくれたらよかったのになと思ってしまう。
「どうもしないよ。普通に学校行って、帰って、テレビ見てネットして寝たよ」
「ふぅん……わたしがいなくて、さみしくなかった?」そんなこと、訊くはずじゃなかったのになあと思うものの、そう思ってくれたらいいと、ききたい言葉を求めてしまう。
「そりゃあ、秋乃しか話すひとなんていないんだからさみしいというか暇だったけど……そっちはどうしてたの。学校さぼって一日中」
「一日だらだらすごそうと思ってたけどサーシャがきてくれたからね、遊んでたよ」
「いいなーっ! サーシャも学校さぼってたなんて。うちだったら絶対学校休ませてくれないよ」
「じゃあ今度、学校行くふりして遊びにきなよ」
「うん。絶対!」
 絶対、絶対かと思いながら、結那の肩にからだをあずける。時間は昼休み、場所はいつもの外階段だった。五月になると急に気温があがる気がする。女子の制服は、ブレザーは自由だけれどベストは冬服でも夏服でも着用していなくてはいけなくて蒸し暑い。暑くて、からだの触れる部分が熱をもっている。昨日も思ったけれど、これから夏になり、こうやってくっついていることが大変になるのだなと思い悲しくなる。
「絶対ならさ、いまからいこうよ。学校なんて放っておいて」いまのうちにとおもったのか、肩口どうしをふれさせる。
「いまから? 怒られないの」
「だいじょぶだよ。そうすることよくあるけど、いままで何もなかったし」
 本当は、わからない。わたしについては小学校も中学校も、面倒になったときは勝手に帰っていて、もう諦められている節がある。彼女の場合は家のほうに連絡がいくかも知れない。
「でも、」
「でもじゃなくて、だいじょぶだいじょぶ」

 お昼休みのおわりの鐘がなったとき、わたしたちは校門をでた。学校の周りは家もなく、田んぼと雑木林しかないのでひとの姿もない。いつものように黄色いヘルメットをかぶった彼女は、こんなことをするのは初めてなのだろうか、いささか緊張しているようにみえた。
「ただいまー」
「あら、早いんですね」
「今日はさぼりだよー」
 お屋敷に帰るとかずみが声をかけてくれる。「お茶ふたつねー」階段を上り、部屋に戻りつく。けれど、いつものようにサーシャの姿はない。わたしと結那のふたりきりだった。
 鞄をおき、制服の上着を脱いでいたら声をかけられる。「そうだ。そういえば、写真もってきたよ」
「旅行のときの?」
「うん。秋乃と、サーシャの分」鞄のなかから駅前の写真屋の袋を渡される。そういえば、印刷された写真なんて久しぶりにみた気がすると最初の一枚を眺める。わたしとサーシャの写っている写真、海辺で、ふたりの顔は日傘に半分ずつ隠されて、なにか内緒話をしているような雰囲気だった。あれは何時頃だっただろうか、午後すぎで、写真には写らない、カメラを構える結那のななめ後ろのほうから射す光が揃いの服に柔らかな影を落としている。背景の海は雲がかかりはじめ、金色に光っている。雲間から光が落ち、その光のなかに人影のようなものがみえた。
「これ、何かな」指さし、問いかける。肩口から結那の顔が伸びてくる。「何だろ。レンズにごみがついてたのかな」けれど、わたしにはわかった気がする。その、写真に写る姿は子供のころ、いまよりずっと小さなころにみた天使の姿に似ていた。
「幽霊かもね」
「やめてよ……そんな、もしそうだったら飾れなくなっちゃうよ」
「結那は怖がりさんだねえ」
 次の写真をみる。今度は日傘をあげて、顔も写った写真。ふたりでひとつの日傘をもち、向かいあい、あのときは何を話していたのだろうか、笑っているような顔で、そこにやはりカメラはなくわたしとサーシャだけしかいない黄金色の光に照らされた、波の高い海の、松林の揺れる、なかのもので、白いサーシャの姿は影のように光のなかへ溶けようとしているみたいだった。
 次はわたしの撮ったもの、サーシャと結那の写真。まっすぐカメラのほうをみて笑顔をむける、どこか写真館で撮る記念写真のような雰囲気のものだった。笑顔は、結那のほうはうれしそうに顔を丸めて、サーシャのほうは、いつもあまり笑わないせいだろう、ぎこちないような笑顔を日傘に隠そうと、恥ずかしそうにしていた。
 わたしと結那の写真。そういえば手をつないで撮ったのだった。右手に日傘を持ち、左手は彼女の手に、彼女の左手はカメラの方をまっすぐと向きピースサインを向けている。あのときの彼女はこんなに笑っていたのだろうかというほど楽しげで、影のささない笑顔を向けている。わたしのほうだって、結那とサーシャ、ふたりと写った写真のなかのわたしは、普段ひとに向けたりなんてしないような笑顔でいた。最中は何も考えるようなことはなかったけれど、思いだしてみればとても楽しかったような気がしてくる。思い出って何のことだろうと思ったけれど、写真で見るとあのときのわたしは随分と楽しんでいたようだ。
 写真は何枚もある。サーシャの撮った、海からあがったばかりの結那、わたしがサーシャにいちごを食べさせる姿、いつ撮ったのだろう、手をつなぐ後ろ姿も、帰りの車で眠る姿もあった。これは海辺の街へ行ったときだろう、土産物屋のある町並みや、そのなかにたたずむかずみの姿、シャトルを追いかけラケットを伸ばすサーシャとかずみの姿もあった。けれど、カメラをもっていたのは彼女で、彼女の写った写真は海辺で撮った三枚しかなかった。
「ありがとうね、結那」
「ううん。ぜんぜん。いいんだよ。あたしも楽しかったし、今日も、写真わたしたら喜んでくれるかなって思ってたんだから。喜んでもらえてよかったよ」
 最後の写真までみて気づく、うちには写真を撮る習慣も、飾る習慣もない。むかしのアルバムもない。だから、写真立てもアルバムもなくて、飾る場所もどこにもなかった。サーシャにも枕元に飾るといったし、あとで写真立てを買いにいかなくてはいけない。交代で撮った海辺の写真と、海からあがったばかりの結那の写真。寒くてふるえていたのに、レンズに姿の映るそのときだけは髪からこぼれてきらめく水滴も、吹く風の冷たさも感じないようにまっすぐな姿だった。逆光気味の海の向こう、雲の合間にはまた天使の姿が見える気がした。
「いま、カメラもってる?」
「携帯しかないよ」
 小さな携帯電話の画面にわたしたちの姿がおさめられる。お屋敷は広いけれど、わたしの部屋は広くはない。狭い部屋のなかではしゃぎ周り写真を撮り、そのうちの一枚、海辺の彼女のようにピースサインをしたわたしの姿は待ち受けに設定された。疲れて、ベッドに横になった。昨日のサーシャとの会話を思いだす。結那がきてから、サーシャとこうすることは少なくなった。かわりに結那とこうする時間ができた。まだ一ヶ月と経っていないのにわたしたちの、ふたりだけの関係は変わってしまった気がする。きっと、いままでのような関係ではいられなくなってしまったのだろう。それを、悲しく思ったりするのだろうかと考えても、あまり悲しいような気持ちにはならなかった。
 扉が開き、もうこんな時間だったのだ。制服姿のサーシャがやってくる。「おかえり」視界の外で鞄を置く音がする、ベッドが軋む音をたて、わたしの頭のむこうに彼女がいることを感じる。
「ゆいと一緒だったの」
「今日は、学校を早退したから」
「私も、ひーちゃんと一緒の学校だったらよかったのにな」三つ年が離れていて、サーシャがわたしたちの通う学校へ入学したとしても、その頃にはわたしたちも卒業している。「ひーちゃんとゆいはたくさん一緒にいられるから、私は学校のおわったあとにしかひーちゃんとあえないから」彼女の手が結那のほうへ伸びる。顔が触れあい、口づけをしていた。
「ひーちゃん、好きだよ。愛してるよ」わたしは、サーシャのことをいままでのように、ふたりだけの関係で愛している訳ではなくなっているのかも知れない。結那もふくめた三人で、すごすことに、ほんの短い時間なのに慣れてしまっていた。「ひーちゃんがいままでみたいじゃなくても、私はひーちゃんのことが好きだよ」わたしも好す。と返した。「私は、ひーちゃんとずっと一緒で、分かれてしまうことなんてないって思ってた。けど、」けど、なんてないよ。ずっと一緒にいるんだよ。「そんなことないよ。ないし、分かれちゃうのは悲しいけど、でも、そのあとでも好きだから。ひーちゃんが私のことを好きじゃなくなっちゃっても、私はひーちゃんのことが好きだから」言葉を聞き、わたしは長い時間のことを考える。わたしたちはまだ十三歳と十歳で、これからさきに横たわる長い時間は凶悪な牙を覗かせ待ち構えている怪物だ。きっと幼いものなのだろう。いまどれだけほんとうに思ったことも、かけがえのない真実だと思ったことも、時間の怪物に飲みこまれ、粉々にされてしまうものなんじゃないかと恐れてしまっている。信じていない訳ではない、わたしはサーシャとずっと居続けるだろう、もしそうでなくなってしまったとしても、サーシャの言葉を疑うつもりはない。それなのに、時間が、決意を鈍らせ、厳粛な決意は惰性に変えられ、いつかまったくちがうものにすり替えられてしまうのではないかと恐怖してしまう。未だ膨大な時間をすごしたことのないわたしは、否定できない、あるかも知れない未来におびえ、恐怖するしかできない。
 鏡のまえで練習した笑顔だ。ふわりと笑い、魔術的な、みえない何物かの力を借りてあり得もしないことを信じさせる魔法の表情。喉に力をこめて、望んだ声をだそうとする。
「サーシャのことが好きだよ」
 ああ、はじめて成功したのかも知れない。魔法を使うのに完璧な顔をしていただろう。優しい声で、彼女の信じたいものを信じさせてあげることができただろう。
 魔法の力は嘘の力だ。非存在の存在しなくなった、存在しないものを信じることが、幻視することのできなくなった世界で、魔法をかけるというのは存在しないものをみせて、大嘘を本当のことだと思わせることだ。
「知ってる」
 わたしの胸に横たわるサーシャの頬を撫で、唇を重ねた。こんな嘘は、魔法は、きっと世界中のどこでも行われていることだろう。わたしたちのようにベッドで横たわる親密な恋人たちは永遠の愛をささやくだろう。永遠の愛は大嘘だ。かわらないものなんてない、最近、国語の授業で平家物語をやっていたから知っている、けれど、そんな嘘だって、ベッドにいるあいだだけ、分かれてしまうまでは信じられる、この世のかけがえのない、全くの真実であるように信じられるだろう。信じられ、分かちがたく、あたりまえで、疑う余地なんてないことだから、「サーシャが知ってるっていうことを、わたしも知ってる」