donuthole.org / novels / 廃屋に花 / 3章-4

120928(Fri) 21:57:27

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 その後、サーシャと結那はお屋敷に泊まってゆくことになった。結那はサーシャに写真を渡し、いたく喜んだ。きっと、彼女も旅行の最中にあんなに楽しんでいたことを知らなかったのだろう。明日は、学校を休んで写真立てを買いにいくことになった。これから先、なんども見返す写真になるだろう。いつかその思い出も擦りきれ、写真のあることしか、写真に残されていない数々の些細なこと、屋根裏の怪物を探しにいったことは年老いて死ぬ間際には忘れてしまうかもしれない、けれど、揃いの服をきて笑いあう幼い頃や、友人と手をつなぎレンズに映る自分の姿、自分の撮った友人たちの姿は、形残る写真がある限り、それだけは忘れないだろう。何もかもが時間の奥底に押しこめられ、幼い自分の姿がいまの自分と思える限りは、出来事を忘れないだろう。
 お風呂あがり、わたしは屋敷を徘徊していた。いつだかもこうしていただろう、キッチンの扉のすきまに明かりがみえる。期待してなかを覗いた。ふたりの父の姿がある。
 あのふたりにも、わたしたちのようなむかしの時間があったのかもしれない。父たちの昔話をわたしはほとんど知らない。より歳幼いころ、東京のマンションに住んでいたころはそういった話をせがんだこともあったけれど、いまではそういったことを尋ねることもなくなっていた。
 けれど、安心する。四年間住んで、慣れ親しんだ家になった、すみれさんの別荘のときみたいに、菊太郎がひとりでお酒を飲んでることはない。いちかは同じグラスを傾け、フリルに覆われた長い袖と貝の髪飾りを揺らす、しなを作るような姿で、だけれど、何かを装うような仕草にはみえない。彼女が生きてきたわたしの倍以上ある時間に、あたりまえのものとして身につけたものなのだろう。
「まだ起きていたのかい。サーシャと結那は?」
「ふたりはもう寝てるよ」
 扉の影の姿に気づいた菊太郎に声をかけられる。わたしの姿を見て、ふたりの瞳は不安げに、一瞬だけ揺れる。「ふたりは、すみれさんと同じ学校だったんだよね」
「そうだよ。そうだったねえ……」いちかは遠い、隔てられたもの見る目をする。
「三人で車に乗って遠出をしたんだよね」
「昔はね、車に乗るっていうのがそういうことだったんだよ。いまみたいに、移動するだけの手段じゃなくて」
「いまは、三人で出かけたりしないんだよね」いちかは、家からでたがらないから、そういったことはもう、当然のようにない。
「そうだね、歳をとってしまったからね、きっと、これから、そういったことがあったらいいなとは思うけど、ないのだろうねえ」
 三人は、大学生のころどうすごしていたのだろうか。それはきっと、いまのような関係ではないだろう。ああと思い至る、わたしたちの三人だって、きっと、彼らの歳のようになったらいまのようにはいられないだろう。昼間にサーシャにいったことは全くの嘘ではないかも知れない、好きだ、けれど、未来はわからない。未来は変わってしまうかも知れない、けれど、形を変え、ふたりの父とその友人のように一緒に居続けることはあるかも知れない。
「お父さんは、」そういえば、ふたりをまえにして、お父さんだけと、名前をつけずに呼んだのはいつ頃ぶりだろう。「ずっと一緒にいるんだね」
 長い時間があったし、一緒にいるなら、また時間が、彼たちの形を変えてしまうかもしれない。
「ああ。そうだね。きっと、死ぬまで、そうなのかも知れない」「俺と菊は、ずっとそうしてきたから、きっと、そうなんだよ。すみれともきっと」
「よかった。ね、今度は三人で旅行へいってきなよ。もうすぐ父の日だしさ、うちのことはかずみと大江さんもいるし、留守番してるから、」
 ふたりはわらった。時間がかえてしまったものは元には戻らないだろうけれど、きっと、近づくことはあるかも知れないし、思いだすこともあるかも知れない。
「だから、安心していってきていいんだよ」
 わたしは、ふたたび魔法を使おうとする。わたしはふたりの望むような娘ではないかも知れない、そもそも、ふたりともわたしに何かしらの娘像を託したりはしていないだろう。けれど、ふたりともがまったく喜んでくれるような笑顔を向けた。それは装いではない、本当のことはなにもないかもしれない、けれど、ほんとうに、ふたりのお父さんとすみれさんにはそうであって欲しいと思っているのだ。