donuthole.org / novels / 廃屋に花 / 3章-5

120929(Sat) 21:51:44

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 午後の少しまえ、かずみのつくってくれた朝食を食べわたしたちは街へでた。高台にあるお屋敷からは、くぼんだ土地にある街の背中がよく見える。再開発の進められる駅前には建設途中のマンションと、未だ版図を広げる、結那の住む住宅街もみえる。坂道を下り、駅前へ、もとは畑だったあたりの住宅街を抜けてゆく。あたらしい町並みは整理された碁盤の目だ。見通しのよい道に、等間隔に置かれた街灯、電信柱も電線もなく、歩車分離された道は背の低い街路樹と垣根にわかたれた、お屋敷の庭とはちがう、視界の広い街だった。
「二日も続けて学校さぼってよかったのかな」
「いいんだよ。楽しいことしようよ」「私はゆいとあそびたいよー?」
 ならぶ家々は窓も大きく、たくさんの光が入るのだろう。何もかもがお屋敷や、すみれさんの別荘とはちがう場所だ。街灯のある、ひとの姿がいつでもみえて誰が何をしているかのわかる場所で、こういったところには存在しない生き物はいないし、その姿を見つけることもないだろう。きっと、いまは怖がりの結那だって、夜道を歩くとき、怖がるべきは、自分と同じ姿をもつ人間で、怪物の存在を疑い恐怖することもいつかなくなってしまうだろう。
 魔法の存在は非存在と一緒に明るい街に排斥される。街がつくられるとき、畑のあいだにあった道祖神や、雑木林の祠は潰されてしまった、家々の壁や路地に鳥居の絵が描かれることもない。存在しないものはまったく存在せず、その影すら、しっぽすらあらわさない。この街で生まれ、小学校へ通うようになる子たちは、こっくりさんをすることもないのかもしれない。
 あたらしい住宅街の区画を抜けた先にある、古い家々のように野放図に伸びる庭木もないし、家の敷地をはみ出した植木鉢、プランターもない。きちんとならぶ家々では、木は管理され、想像もできないような枝の茂りかたをすることもなくなった。わたしがすみれさんの歳のようになったころ、こういった町並みが増えているとしたら、魔女の仕事はできないかも知れない。けれど、物語が求められるとき、魔法な何度でもよみがえるとわたしは、すこし絶望しながら信じたい。
「どーしたのひーちゃん。上の空だよ」
「ううん。なんでも」わたしたちは写真を飾るための写真立てを買いにゆく。写真立てに飾られた写真は、記憶のように変質することはない。記憶は時間とともにすり減り形を変え、捏造される。けれど、撮られた写真は絶対の証拠で揺らぐことはない。記憶のなかに住み着く生き物はいなくなるだろう。だから、すみれさんたちは写真撮らずに、暗いお屋敷をすみかに選んだのかも知れない。「サーシャと結那と一緒にいるのがうれしいなって思ってたんだ」
 こんなでは、わたしは魔女になれないかもしれない、それでもよかった。ひとりでいるときだって、ふたりのすがたを部屋でみることができるだろう。携帯電話をもっていたら、遠く離れた場所でも会話をし、顔を見られるようになる。すぐに話ができて、顔をみられたら、やっぱり想像のなかに住む怪物は存在しなくなる。それでも、三人でいられることがうれしかった。
 五枚の写真を飾ろう、交代交代で撮った海辺の写真と、ピースサインをする結那の写真と、いちご園の写真を。像は揺らぐことなく、わたしがたちがそのとき感じていたよりもずっと楽しかったことを、動かない絵のなかで語っている。

エピローグ

 何十年も未来、わたしたちの関係はあれから変わった。ふたりの父とすみれさんのように時間の波には逆らえなかったけれど、サーシャのことを愛していて、結那のことを愛している。魔法は失敗していなかった、わたしたちはまだ分かれることを経験していない。ずっと一緒にいることを信じ続けている。
 そして、わたしはすみれさんのあとを継ぎ、魔女でいる。