donuthole.org / novels / Golden / 1章_3

130801(Thu) 21:53:45

閲覧数 1462

3

 冷房のついた取引所から一歩外にでると盛夏とはまだいわないけれど夏本番をひかえた太陽が寄宿舎街を真っ白にしている。茜には仕事をしなくていいといわれてしまった、しても無駄、金を吐きだすだけという判断なのだろうから勝手に動き回ることもできない。先月から資産は減るばかりで、もしかしたら、もう愛想を尽かされてしまったのではないかという怖い想像もする。
 土曜日の午前中は投資家たちが最も活発な時間帯で、学園はがらんとしている。すれ違うひとも少なく、けれどときどき向けられる不躾な視線が煩わしい。もともと高等部からの募集は三十名だけで入学当時から話題にされやすかったし、そのうえ茜に買い上げられ同じ部屋で暮らしているとなれば高等部一年生のなかで最も噂話のささやかれる有名人だ。視線にさらされることはもう慣れた、けれど、茜に仕事をする必要もないといわれたいまは恐ろしく感じる。芦原の魔女、市場に参入する初等部の一年生からの十一年間で最も多くの個人資産を積み上げた彼女に一番近い人物ともなればそれなりの手腕を持っているだろうと噂されるのだ。分不相応な評価をされ、それでも、茜の信用を落としてはいけないので自分の成績を告白することもできない、そういったなかに私はいる。
 行き交うひとびとはみんな足早に寄宿舎街をすぎてゆく。校舎に行くのか、寮に戻るのか、どちらにしてもこんな日差しのしたには長くいたくはない。私もそうなのに、いまは寮の取引所だけじゃない、部屋にも戻りたくなかった。茜に買われて一緒に住むようになった部屋は彼女の気配を湛えて、姿がみえないときにも存在をあらわしてしまうから。
 誰にも見られることのない場所へいきたい。
 入学当初にみたきりの学園の地図を思い浮かべる。たしか、植物園があったはずだ。

 学園の敷地は山の斜面にあり、坂をのぼるごとに人通りは少なくなってゆく。植物園はその斜面の一番うえにある。
 ばらの垣根に覆われた、小さな植物園。あるのはたしか、ばら園と小さな温室だったはずだ。垣根越しにもがらすのドームが見える。垣根には赤い蔓ばらが、入り口には青いばらのアーチがかけられている。
 なかに入ると小さな庭園のようになっていて、舗石を敷いた細い道と小川、噴水などがあり、あとは不規則にばらの株が植わっている。赤に黄色に白、それから青いもの。青いばらは学園のシンボルにもなっているせいか庭の中心にまとめられている。
 盛夏とはいえないけれどばらの茂る暑いなか、取引の盛んでひとのいない時間だ。こんなところには誰だってやってこない。日差しを吸いこんだ髪が暑く、日陰を目指す。ばら園の奧には大きな木があり、木陰をつくっている。
 木の根元までゆくとひとが倒れていた。制服を着た子で、寝ているから正確にはわからないけれど、私と背は同じくらいだし、顔立ちだって高等部の三年生のようでも中等部の一年生とかそういった感じではない。芦原学園ではリボンやその他制服のパーツなどで学年がわかるようにはなっていないので歳はわからないけれど私とそう変わりはしないように見える。
 熱中症だろうか、苦しそうにはしていないけれどうっすらと汗をかいているようで額や頬に髪が張りついている。額に手をあてるとひんやりとしていた。熱中症は、体温がたかくなるものだっただろうかと熱をはかってから考えていると彼女は目を開ける。
「きみ、大丈夫?」
「ええ、すこし居眠りをしていただけです」
 こんなところで。土曜日は稼ぎ時だ。誰だって、寮や学舎で商いや小銭稼ぎの仕事に励んでいるだろうに。
「いつも、こうしてるの」
「そうですね。あまり、居場所もないですし」
「きみは」
「子茉莉。環子茉莉ともうします」
「……私は、」
「夏奈さんですよね。知っていますよ、有名人ですもん」苦々しい顔をしているのに気がついたのか、「噂をされることは気になりますか?」
「すこし、気になるかな」
「そうですか。失礼しました」申し訳ないという風にではない、ゆっくりとまぶたを落として笑う。
 そういえば、環という名前に思い当たるところがあった。海ほたるの事業家の環一族、その娘なのだろうか。だとしたら、噂をされるのには慣れているのだろう。同情、でも抱かれているのだろうか。
「環さんは、」横になっていたからだを起こし、腕が持ちあげられる。そのまま不意のことに言葉を途切れさせてしまった私の口元まで運ばれ、人差し指で触れられた。「噂話はいけませんよ」
「私、そんなつもりじゃ」
「なら、いいですけど」
 環さんはそのまま私を伺っている。丸い瞳が視線を動かすたびぐりぐりと回って面白いのだけど、無言のままでどうしたらいいかわからない。耐えかねて、どうでもいいようなことを訊く。「環さんはよくここに?」
「ええ。何もしてないので他に行くところもないですし、誰もこないですし。あと、わたしは夏奈さんよりも年下ですし、環さん、なんて呼ばなくていいですよ」そういう彼女は中等部の三年生らしい。「夏奈さんもいく場所がなかったのですか。こんなところ、園芸部か、そうでもないとこないですよね」
「まあ、ね」自分の無能をさらしたようでばつの悪い心地になる。「まあ、きょうは特にやることがなくって、散歩でもしようかなと」居心地の悪さゆえに無用の言い訳をしてしまう。「ほんとうは、取引所にいるか、調査とかしてるはずだったんだけど……。子茉莉は、市場に参加したりしないの」
「では、いまはお暇なんですか」何も訊かれなかったように続けられた。
「そう、だね……」
 また、私のことを窺う目だ。それから、すこし考えこむような仕草をしている。
「お暇なら、わたしと青ばらになりませんか」
「冗談」
 青ばら選へ立候補する野ばらたちはふたりでひと組になっている。もともと、学園の代表カップルを決める選挙が変化したものだから、基本的には付きあっている子同士となるし、実際はどうとしてもかたちのうえではそうなるものだ。
 初対面の相手にいきなり青ばらになろうだなんてどうかしているのではないだろうか。
「夏奈さんはわたしのことをきっと何とも思っていないのでしょう。市場に参加しないでだらだらとしているひと、いきなり付きあおうだなんていうおかしなひと、それくらいにしか」言葉に詰まる。「いいんですよ、それで。初対面ですし、何と思われても。でも、もし、わたしと付きあってくださったら、きっと楽しいですよ。どんな結果になろうとも。青ばらを目指すことになれば、きっと残りの一ヶ月半や二ヶ月半のあいだ、長い時間を一緒にすごすでしょう。人前で恋人同士のようなふりをしなくてはいけなくなって、でも、青ばらになるなら完璧に恋人同士のように振る舞わなくてはいけません。そうしたとき、夏奈さんは思うのでしょう、わたしは子茉莉が好きだって、意に反して、なのに完璧に振る舞うために嘘でなく、ほんとうの気持ちという留保を置くこともなく、ただそのときだけはわたしのことが好きと振る舞うのです。何度も、何度も。そうしたらきっと、夏奈さんはわたしのことを好きになるでしょう。青ばらになれず、苦く苦しい結果に終わるとしても、選考期間がおわったあともわたしのことを好きなままです。わたしは、夏奈さんとそういったことをしてみたいと思います」
 私は、この目のまえの子茉莉というひとを怖く思う。じっと目を見て、あり得そうもないけれど可能な未来を熱っぽく語るのだ。成功しようとも失敗しようとも楽しいという。じゃあ、成功も失敗もないようなどん詰まりに追いやられてしまうのが、私と彼女の未来だったら、どうなってしまうのだろう。
「子茉莉は……、私のことが好きなの?」
「好きですよ。こんな、誰も寄りつかないようなところに来て、わたしを見つけてくれるんですもの」
 嘘だ、と思う。それとも、一目惚れみたいなものかもしれない。もしそうだとしても彼女が語っている言葉は嘘だとわかる。
 子茉莉の提案に惹かれるところがあった訳じゃない。でもそんなことをして、ただ茜を困らせてみたかった。私は、恋なんてしたくないし、愛もいらない。そういった気持ちも何もかもを燃やすために芦原へやってきたのだから滑稽を繰りかえすつもりはない。どうやって断ろうか、彼女のことを何とも思っていない。そう正直にいったとしても、未来はどうかはわからないといわれてしまうだろう、私と未来をみましょうと。未来はわからない、この先ずっと子茉莉に興味を持つことなんてない、なんてことがほんとうかどうかわからない。だからといって、お友達からはじめましょうという定型文では弱すぎて、済ませてはくれないだろう。
「……断りにくいのですね」
「そうだね……」
「では、後日また伺います。夏奈さんの気持ちをしばらく煩わせてしまうかもしれないことだけが心苦しいですが、わたしは夏奈さんのことが好きですので勝手をさせていただきます」
 そういって、子茉莉は去っていく。さっきまで寝転んでいた背中に葉っぱをつけながら。