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130805(Mon) 23:03:33

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 ようやく子茉莉といのりと別れた。お酒を飲んだのは初めてで、ほんとうは怖いと思っていた。話にきくように笑ったり泣いたり怒ったり、普段とちがうことをするようになるそうだったから。
「ねえ、私はどうだった。いま、どう見えるの」
「どうも。いつもの夏奈だよ」
「いつものって、いつもって……?」
「可愛い、可愛い夏奈だよ」
「そっか、うれしい」
 私はちゃんと茜の役にたっているだろうか。可愛くて、そのことによろこんでくれているだろうか。そうだったらうれしい。子茉莉と恋人同士のように振る舞えばもっとよろこんでくれるだろうか、役に立つだろうか。
「私、子茉莉と恋人になるんだ……」
「そうだよ。子茉莉ちゃんとうまくやるんだよ。……うまくやれなくてもいいか。青ばら選、楽しんでやってくれたらいいんだ。あたしは、夏奈が、子茉莉ちゃんとうまくやってくれれば、恋をすることを楽しんでくれたらなんでも……」
 茜は私に肩を貸してくれている。椅子から立ちあがろうとしたとき、うまく立つことができなくなっていた。役に立つはずが重荷になるばかりだ。それに、こんなことを彼女にさせてしまうなんて。ほんとうなら、私の世話をみるはずのいのりにでも頼めばいいのに、いのりだってそういっていたのに、一緒の部屋だからって断って。
「うん。がんばる。青ばらさまになってたくさん茜にお金をあげる」
「そんなのはいいのにね……」
 山からのもので、海へ吹きおろす風だ。すこし酔っているのだろう、火照ったからだには七月のおわりのぬるい空気でも気持ちいい。まっすぐ立てない私を支えてくれる茜は潰れてしまいそうだ。そんなに酔ってないはずだったのに情けない。
「ねえ、邪魔じゃないの」
「何が」
「私が」
 邪魔なんかじゃないと小声でいうのがきこえた。そういうことがうれしくて仕方がない。子茉莉の恋人のはずなのに、茜のことばかり考えている。彼女の役に立てたら、完璧な恋人同士を演じられたらもっと役に立てるはずなのにそれを裏切ってしまう。いまは、いまだけは(未来はわからない、あしたになったら。また子茉莉と顔をあわせたら――)茜のことが好きで仕方がない。
「ごめんねぇ」
 意に反して泣き言のような声がもれる。つよい風によろめいて彼女にいっそうの体重をかけてしまう。
「いいから。ほら、なずな寮だよ。あと少しで部屋につくんだから。我慢、できるでしょ」
 見上げるというとおり、すっかり見慣れてしまったなずな寮がある。肩を借りたまま靴を脱ぎ散らす。きょうばかりは茜が拾って下駄箱に戻してくれる。茜のかがんだ背中をみていると不意につらくなる。私は何をしているのだろう。茜に勝るなんて思いはしない、もともと金で買われた同じ部屋の住人と主人の関係なのに、いまばかりは小さな彼女を守ってやりたいと思った、そのことが辛かった。
 目をそらした先には談話室、なずな取引所がある。昼間の活気はどこかへいってしまった。大引け後では吊されたミラーボールのきらめきも薄い。ゆっくりと回転し光を放つ球体は絢爛の、金の力で駆動する房州の力といった風ではない。弱々しく、いまにも死んでしまいそうだ。なずな取引所、というより青ばら市場の時間外取引の手数料は高くわざわざ手を出そうというひとも少ないのだから仕方がないといえば、そうなのだけど。
「ほら、そんなところで座ってちゃだめだよ。エレベータ乗ったらすぐ部屋なんだから。部屋で横になりなよ」
「やだ」
「やじゃないよ」
「やだー……階段がいい」
「わがままいって……」
 わがままだってわかってる。いうとおりにするのが嫌だなんて、いつか追いだされて子茉莉のところへいけといわれてしまうだろうか。記憶を取り戻し、感情を買い戻し、茜に返さないといけないのに、なにもできていない。それは私の決意で茜に話したことはない。
 よろよろと外階段にでる。風はつよく、森の木々が亡霊みたいに揺れ、空のうえのほうでは雲も散らされて紺色の一面になっている。手すりをつかんでからだを支える。いつまでも茜に頼ってちゃいけないんだ。
「肩くらい貸してあげるから、そんなんじゃ足をすべらせちゃうよ」
 そんな言葉も無視しておぼつかないって自分でもわかるような足取りで階段をのぼる。三階まできて、疲れて腰をおろしてしまう。茜も伴って座ってくれる。まだ消灯まで時間はあるけどエレベータがあるのに階段を使うひとなんていないからここには私たちだけだ。隣に座った茜、階段は狭く、膝が触れる距離だ。支離滅裂で、自分がどうしたいのかもわからなくなってくる。きょうだけなんだと意識する。あしたからは子茉莉の恋人になるんだ、だから、きょうだけはこうしてもいい。手をのばして彼女に触れる。小さなからだを両腕におさめる。風はつよくても夏で、触れているところから汗ばんでゆく。暑くて頭ががんがんとして、心臓が痛いように打っている。
「ねえ、茜は、どうして私を買ったの」
「さあ、どうしてだろうね。偶然かもしれない。ひとり部屋で暇だったから、そこに偶然夏奈が編入してきて、丁度よかったからそうしたのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。そうじゃなかったら、荷物抱えて不満そうな顔をして学園の入り口に立っていたのが気に入らなかったからかもしれない」
「茜はいじわるいう……」
「意地悪かったらこの腕を振りほどいてるよ」
「じゃあ、こうしてていい?」
「夏奈はもう子茉莉の恋人なんだよ」
「きょうだけ。きょうだけこうしてたい」
「そんなの、うまくいく訳ないよ。きょうだけ、なんて嘘になる。ねえ、夏奈はこういうことしたいと思ってたの? 一緒の部屋に住んで、そのなかで何度も、機会をうかがって、そのたびに勇気を発揮できなくてやめたりとか、そういうことを繰りかえしてたの?」
「茜はいじわるだよ……どうして私を同じ部屋においてるの。一緒に青ばら選にでるんだから子茉莉の部屋にやってもよかったでしょう」
「それは、嫌だったから」
「何が」
「夏奈、意識ははっきりしてる? はい、東京特許許可局局長」
「とうきょうとっきょとかきょくきょくちょ……」
「ろれつも回ってないね。じゃあ、答えはいわない」
 回した腕をほどいて、彼女の肩に置く。近い距離の顔がさらに近づく。「もし、夏奈がそうするなら、後戻りできないかもしれない。子茉莉とするはずだったことをあたしとしようとしてる」
「こんなの、何度だってできる」
「嘘だねえ……」嘘、といったその口で茜は私の唇に触れる。「嘘なんだけどね、嘘でもいいって思ったりもするんだよ……ほら、あしたからは子茉莉とこうするんだよ。あしたから、なんて嘘だけど嘘がほんとうになるところをみせてよ」
 まくし立てるようにいうと茜は立ちあがり、次の踊り場まで駆けていってしまう。私はひとり取り残された形で座っていることしかできない。話し声が聞こえてくる。「いのり。部屋に水を汲んで持ってきて。……うん。飲み水。……いいから、誰にみられたっていいよ……」
 あしたからは嘘。嘘がほんとうになったほんとうの恋人同士になる。焦がれる心も持っていない、契約のように結ばれた関係をもっともらしくこなして、学園の代表カップルになる。失敗することはできない、失敗してしまったら、今度こそ茜に見放されてしまうから。
 茜は電話を切り、私のほうを振りかえる。「おまえは、どうしてこういうことをするのかなあ……おまえは……」昼間、大引け後にみたのと同じくらい複雑な顔をして泣きだしそうな茜はそう漏らす。次の瞬間には表情をきりかえいつものようなむっとしたものに戻る。「ほら、部屋に戻ろう。あたしたちの部屋に。いくよ」手をとられ、また肩を借りて歩きだす。

 部屋に戻るとすぐに、「あたしはお風呂はいってくるから。もうすぐいのりが水をもってくるから夏奈は寝てるんだよ」そういってでていってしまう。のこされた私はいいつけも守らずに机に向かい鍵をかけた引きだしから日記帳を取りだす。芦原にきてからつけるようになったものだ。なかには茜のことが書かれている。きょうの茜はどうだった、どんなことをいったとか、そういう記録をつけてある。きょうは、書くことがたくさんあるだろう。はじめてみた表情がいくつもあった。私と子茉莉とでは接する態度がちがった。はじめてキスをした。