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130807(Wed) 22:48:05

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 日曜日だけどきょうは毎週のように前場、後場と市場は開かない。理由はわからないけど午前中は終業式にあてられることになっている。式の終わりには現青ばらの海江田郁代とりんごさんが夏期休暇をまえにしての言葉を述べる。海江田のほうは当たり障りのないような言葉を、りんごさんのほうは「これから夏休みだけどー、夏休みは短いから勉強なんてしないで遊んだり恋したりしましょうねー」と適当なことをいっていた。あんなことをいってもいいのだろうかと思ったけれど誰も真に受ける様子もなかった。芦原で知らないひとのいない海江田郁代は海江田月子の孫で、りんごさんのほうも広く知られている。いつでも新聞を賑わせているからだ。海江田郁代の恋人で青ばら、なのにそんなことを気にする風もなく話の種、恋愛がらみのスキャンダルを振りまいている。
 隣に座った茜は(世田谷の学校とはちがって席は自由だった)りんごさんが喋り終えたあと、夏奈たちも青ばら選を勝ち抜いたらああいうことをするんだよといった。私も、りんごさんみたいなことをいわなくちゃいけないの、と訊くと子茉莉ちゃんでもいいかもねーと返された。子茉莉はあんなに適当じゃないですと知りもしないのに素っ気なく返す。
 でも、と思う。海江田郁代とりんごさん。性格は正反対にみえるしりんごさんは海江田郁代のことを気にしないよう勝手気ままに振る舞っている。派手なパフォーマンスをしているわけじゃない、青ばら選のために恋人同士のふりをしているようでもない、なのにふたりは恋人同士のようにみえる。どんなカップルよりも仲がよく、別れるところは想像できない。私と子茉莉は茜の瞳にどう映っているのだろうか。これから私たちが青ばら選にでると発表し、野ばら債をなずな証券に登録させる。そうしたときひとは私たちをどうみるのだろうか。話題にはなるだろう、一番の資産家のその同室がカップルになるのではなく環財閥の娘と結ばれ、茜のほうはそのバックにつく。しかも時期は夏休み最初の日、投票まで二ヶ月半しかないという普通ではやらない時期に出馬する。話題性だけなら抜群だ。きっとあしたには海江田組の次の候補になるだろう。本来出馬期間の最初であったら何もしなくたって茜の資産だけで青ばら債の大部を買い集めることができるのだから。

 中等部と高等部の昇降口は同じ棟に設けられている。四階建ての職員室や特殊教室が集まった棟なのだけど、その一階に高等部の下駄箱が、二階に中等部のものがあり、二階のほうは外から階段ではいれるようになっている。きょうは茜に呼びだされていないので終業式を終えなずな寮へ戻ろうとするとその階段で子茉莉が待っていた。
「夏奈さん、一緒に帰りましょう」
 恋人同士である私たち、ということを意識させられ、おぼろげなきのうの出来事を思いだす。ほんとうは忘れているつもりだった、忘れたふりをしていた。きょうも起きたときには何事もなかったように茜と接することができた。記憶の残っていないふりは彼女に知られていただろう、それでもきょうだけ、きのうの夜だけの出来事で、あしたからは子茉莉とこうするんだよといわれたことを、きょうから子茉莉と嘘の恋人をほんとうにするためにと蒸しかえことはしなかった。なのに、こうして昇降口で待っている彼女をみると、その行動はいかにもベタな恋人同士のすることのようにみえて、わざとらしさが際立ってしまう。私はまだ、こういったことを無意識のうちにこなしてしまうほど恋人同士ではないようだ。
「私たち、恋人同士だもんね」
 だから、そのわざとらしさを口にしたくなった。あしたから、なんてできるはずがない。一日で何もかもが様変わりするなんてありえないんだ。茜とだったら一緒に帰ることを意識なんてしなかっただろう。茜のために尽くしその役に立つ主従の関係だから、一緒に帰ることもおかしくない普通のことで、意識なんてしなくて済む。だけど、きのうから子茉莉の恋人、あしたからは茜のことを忘れる、そんなことはできるはずのない嘘だった。急造の恋人なんてものの嘘らしさを際立たせて認めて、諦めた気持ちになりたかった。
「ええ、わたしと夏奈さんは恋人同士です」なのに子茉莉はそれを疑問にも思わない風に返す。笑って、私といることがほんとうにうれしいようだ、手を差しだされ、その意味は充分にわかる。握手じゃなくて手をつなごう、恋人同士のように。まごつく私をまた笑って棒立ちのままの手をとる。立っているだけで汗が噴き出すほどなのに指と指を絡める繋ぎかたをする。何もかもが様変わりしてしまう、積み重ねてきた関係もなくそうすることを疑いもしないような仕草、濃密な嘘の気配だった。「夏奈さんとはああなるんですから、なにも恥ずかしがることなんてないんです」
 指さす先の昇降口まえの演壇(常設されている)にはふたりの彼女が立っている。さっきの海江田たちだ。夏休みの前日は市場が賑わうそうだ。千葉中央銀行総裁の孫といったって海江田の家は特別裕福というわけではないそうだから茜のように金に物言わせて青ばら債を買い占めることはできない。だから、彼女らがああやって人気取りの演説をするところはよくみる。
 海江田郁代とりんごさんの姿は遙かな不安を呼び起こす。嘘のようでない、装っているようでない、性格が違い破綻する要素があるのにかえってそれがほんとうらしくみえてしまうふたり、きのう出会ったことをさえのぞけば嘘のようではないはずの(だけどそれがいちばんの嘘だ)私たちが、これからなるもの。だけど、なれるだろうか。ならなくてはいけない、青ばらになって茜に返さなくちゃいけないものがある、金を稼ぎ取り戻さなくちゃいけないものがある。
「夏奈さんじゃないよ、私のこと、夏奈って呼ぶんだよ」恋人同士だったらさん付けで呼ばない。私もそのわざとらしさを装ってみたくなる。
「はい。夏奈」
「はい、もいらない。敬語なんて使わないでよ」
 苛立ちが言葉の端ににじんでいただろう。何もうまくいっていない、恋なんてするまいと思っていたはずなのに茜のことを好いてしまい、いまでは子茉莉とほんとうの恋人同士を装っている。野ばら市場、房州の奇跡、青ばらになるという狭き門の向こうには無限の金がある。市場に参加するだけではそのおこぼれしか手にいれることはできない。房州経済に直結した金の流れに接続しなくては、茜に何をしてやることもできない。夢のなかでいった百億万円、それを手にして奇跡の金ですべてを買うのだ。
「子茉莉は知ってる?」
「何をですか……何を?」
「寮に置かれた私設取引システムの秘密。海江田月子が暗号をかけたっていう」
「無限にお金を引きだせるっていう噂ですか。青ばら債発行のシステムのことですよね」
 青ばら債は正確には一種類のものではない。各寮が発行するものでなずな寮のものやすみれ寮のものとそれぞれ違いがある。債券の発行額は寮の予算とバランスして、つまり金を刷ることになっている。刷った青ばら債を各証取に引き受けさせてそこから予算を確保しているとのことだ。
「あれに手をだせたら青ばらになれるのにね」
「ばれたら大変……だよ、こんな悪事の相談」
「敬語のほうが話しやすい? できたらいいねってだけの相談だよ。私、茜にたくさん借りがあるんだ。だから、絶対青ばらになりたい」
「きのうはあんまり乗り気じゃないように見えましたが、やる気がでたんですか」
「子茉莉のこと、まだほとんど知らないからやる気があるのかはわからない。でも、お金は欲しいよ」
「じゃあ、きょうはデートをしましょう。市場のことは忘れて、ふたりですごすんです。まずはそこから、わたしは夏奈のこと好きだけど、夏奈はまだわたしのこと好きじゃないんだよね」
 デート、またその言葉のわざとらしさを意識してしまう。どんなことをするのか、一緒に帰ろうと待っていたり、手をつないだりするんだ。デートに行くといったら遊園地にでも連れて行かれそうな気がする。それでもよかった。子茉莉と恋人同士のようになることで金が手にはいるのなら、茜に報いることができるのなら。